ずっと同じ場所にとどまると近視眼的になる。

スポンサーリンク

発想のスケールは実生活に依存する

毎日同じ光景を見ると、たまに狂ってしまいそうな気分になることがある。


毎日同じ電車に乗って、毎日同じように混雑している駅のホームを見る。


毎日同じ時間に帰宅する事で、同じ電光掲示板の時刻を見ていつもと同じようにエスカレーターの上に乗ってそれを眺めている自分に気がつくと「私はどうして生きているのか」と自問自答してしまう。


別に、サラリーマンはクズ!みたいな展開に持ち込みたい訳ではない。どんな職業に就こうが、どんな生き方をしようが、きっとその道程の中には同じような光景が何度も繰り返される事があるだろうから。



とは言えども、同じ光景を退屈だと思いながら、辟易しながらもその状況を変えられない人間はあんまり優秀だとは言えない。自己改善能力に欠けていると言ってもいいし、機会損失を毎日繰り返しているようなものだ。




しかしながら、私自身が大きな損失をしている中で気が付いた事がある。



「毎日同じ事をやっていると近視眼的な発想しかできなくなる」と。



具体的に言うならば、「電車の中での退屈な時間をどうやって有効活用するか?」みたいな発想はできるけれども、「そもそも電車に乗らないようにするためには、どうすればいいのか?」という発想がそもそもできなくなる、という事だ。


自分だけに発生する現象かもしれない。


だが、毎日同じような景色しか見ないようになると、きっと皆そうなるような気がしてならない。自分がいつも過ごしているスケールの範囲内でしか発想の規模が大きくならない気がするのである。


意外性やランダム性の重要さ


毎日同じ事に飽き飽きするというのならば、違う事をすればいいはずなのだが、どうにも自分は自分の枠にハマりたがる傾向がある。


新しい本を読むにしても、新しいゲームをやるにしても、今まで自分が味わってきたコンテンツの内容に似ているものを無意識的に選択している。


似たようなコンテンツを選択しているにも関わらず、「あぁ、また同じような展開かよ」と毒づく。似ている商品を選択しているのだから当たり前なのにだ。


その癖、自分の枠外に存在するもの。全然体験した事のないような内容だと、とにかく嫌悪感が充実してしまって、ありとあらゆる理屈を総動員して拒否する。


まぁ、人間はいつもと同じが安全!と思うような性質を有しているようだから、生命維持の観点からみれば良いのかもしれないけれども、つまらない人生になる事は受け合いだろう。


小さな変化を大切に

じゃあどうやって、この毎日のルーチンを変革するのか?って話になるのだが。


簡単な話ではない。私自身も毎日変わりたい変わりたいと考えているけれども、それでも大きく一歩を踏み出すなんて事は全然できていない。


変化するにあたっての、余裕とエネルギーが足りていないからなのだろう。


だから私は最近は部屋の掃除にハマっている。理想的ではないけれども、これはこれで変化しているのでまぁ良しとしよう。


つまりは人は自分の器の中の景色しか見る事ができないし、自分の器の範囲内でしか変化していく事ができないのだろう。



少しずつ変化していく事で、少しずつ器も大きくなっていく。




だからこそ、ほんの少しの小さな変化であっても大切に扱うのが良いのかと思う。人は注目した事や好感を持ったものを強化するという性質があるのだから、小さな変化をコツコツと育てる事で大きな変化を起こせる人間になるのだろう。