体罰には敏感なのに、言葉の暴力には鈍感だよな、今の人って。

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体罰はいけないかどうか?を考える前に


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こんな事件があったらしい。まぁ今の時代、体罰ってのは物凄く厳しい目を向けられている。そらまぁ暴力なんてものは、ないで済むならばそれが一番良いだろう、それが理想的だろう。


ただ、理想的な世界を追求する内に、現実的に大切な何かまでをごっそり捨て置いて少しずつ世界が歪む事から目を背けるのは悪い事だろうと思う。



個人的には今回の件については、悪い事ではないと思う。
(良い事だとは言わないけれども、これほどまでに話題になって叱咤されるレベルではないと思う)



その辺については色々意見があっても良いと思う。暴力の正しい使い方について、皆が真剣に考える事は現実レベルに則って理想を追求していく事になるのだから、良い事だろう。



ただ、今回の件で私が深く不満を感じるのは上記の件ではない。


タイトルでも言っているけど、精神的暴力には寛容だよな。


体罰は、昔に比べれば物凄く減った。表面上は平和だ。表面上は。


でも、言葉の暴力、精神的な暴力については昔よりも酷くなっているし、何故か体罰を憎むのと同じように、言葉の暴力を憎んだりしない。



体罰で自殺する人間がいるように、精神的暴力で自殺する人間もごまんといるのに、その辺については皆が憤慨して激昂する事はあんまりない。


インターネット掲示板だろうが、ニュースサイトのコメント欄だろうが、物凄く汚く暴力的な言葉が入り乱れている。みんなそれを当然の如く受け入れて無礼な言葉で応酬をする。



誠実な意見でもなく、対して論理もなく、暴力的な言葉に対しては慣れきっている。


誠実な意見で、しっかり考えを巡らせた上で、本当に正しいと思った時だけに振るう体罰に対しては、気が狂ったように批判を浴びせる。
(その批判の言葉は酷く暴力的だ。精神的暴力ならばいくらでも許されると思っているのだろうか)




何かがおかしくないだろうか?


物理的暴力はダメで、精神的暴力は許されるのだろうか?そんな訳がない。




単純に体罰が現代人には新鮮だったから、驚いただけだろう。慣れていない事だから悪い事だと思っただけだろう。



言葉の暴力を平然と使い、その悪さを内省せずに、気づきもしないで体罰を批判する人間はきっと心の底から体罰を憎んでいる訳ではないだろう。


ただ、言葉の暴力を振るう相手を虎視眈々と探しているだけなのではないだろうか?

ただの鬱憤晴らしであり、自分とかけ離れている存在を排他したいだけではないだろうか?


昔に比べて、余計に陰湿になってと思う

コミュニケーションの方法が昔と比べて大きく変化した。その影響はきっと大きいのだろう。


Lineでは間接的な言葉や、遠回しな方法で嫌がらせが横行しているという。そしてそれが今回の件のような大問題にはならない。みんな、近しい事をやっているから真っ向から攻撃できないのだろう。(ネットの悪口とか)



間接的に、証拠は残さず、顔も見せない。



そんな人間が多くを占めている現代では、「直接的に、確かな論拠で、誠心誠意に訴える」なんて方法が不快なのだろうと、そう感じた。




こういうケースにおいて理屈なんてのは、実際の所あんまり役に立たないのだろう。



強く印象に残り、自分と大きく異なる存在である。


人が炎上する理由なんて、結局その程度な気がしてならない。