イロトカタ

純然たるイロトカタです


他人の良い所を見つける簡単な方法【自己防衛との葛藤】

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鏡の世界と社会とコミュ力

人を褒めれば褒められる。人をけなせば、けなされる。


あんまりスピリチュアル的な話を心の底から無条件に信じるタチではないけれども、鏡の法則というか「やった事はやり返される」的な法則については人生経験上、あぁなるほどあるのかなぁ、なんてしみじみ思う。


自尊心がすり減って、「もっと俺を褒めろ!俺はスゴイぞ!この俺の価値がわからないお前らは無能!馬鹿!ダメ!」みたいな心境で相手に接して話をしていると、不思議とそういう気分が伝わるようで、私が欲しいと思っている「賛美」なんかは全然得られない。全くの逆の方向へ向かい、悪循環が起こってしまう。



何か良い事を期待するのであれば、まずは自分から良いアクションを起こさねばならない。子供がダダを捏ねて母親から愛情を期待するような精神で大人の社会は歩いてはいけない。


ならば、この場合で言う所の良い事ってのはなんだろうか?簡単である。褒められたいと考えている、自尊心を高めたいと思っている。ならば他人を褒めて、他人の自尊心を高めてやれば良い話である。あら簡単、世界平和はもう間近!



ところがどっこい、どうにもこうにも。私は私のスゴイ所や私が他人にしてやっているスゴイ事なんかはいくらでもポンポンと思い浮かべる事ができるにも関わらず、他人の良い所なんかは中々浮かばないのである。


他人の悪い所を厳しく叱りつけて自分の溜飲を下げ、自尊心を高める、みたいな妄想をしたことはあっても、他人の良い所を褒め上げて他人が幸せになっていく光景で自分の幸福感を高める妄想は全然したことがない。よっぽど大切に思う人ならば別であるが、普段、社会で生活を伴にする人間に対しては全然思った事がない。



言ってしまえば、社会で生きるのがダルかったり大変だったりと思う理由の多くが、こういった要因から発生する「バッドコミュニケーション」的な現象によって引き起こされているのではないだろうか?と最近思う。




まぁ、まとめると他人の良い所をたくさん見つけてたくさん褒めて、互いが互いの自尊心を高め合い協力し合える関係性になれれば、もっと幸せに生きられるんじゃないか?っていう簡単な話。そんな簡単な話こそが人生の大部分を占めているんじゃないだろうか?って話である。


他人の長所が見つからない理由


自分の長所は簡単に見つかるのに、どうにも他人の長所は全然見つからない。なぜか?


「なるほど!自分こそが人類の中で最高完璧な存在であるからで、他の奴らは私からすれば下等生物みたいな物なんだろうな!」


なんて結論を出してはいけない。私を取り巻く人間は、私と対して大差がない。まるでレベルの違う人間はそもそも住む環境も違うし、会話のレベルも違うので、遭遇しないし会話もない。



つまりは、自分を褒めた数だけの長所が相手にもあるっていう単純な結論が浮かび上がる。


では、どうして他人の長所は見つからないのか?答えは見ようとしていないだけ!ってだけ。



ならば、何故他人の長所は見ようとしないのか?答えは「他人の長所を見ると、自分の自尊心が低下するから」である。



「他人はこんなにスゴイのに、どうして自分はこんなにダメなんだろう?あぁ嫌だ、死のう。」となってしまっては元も子もないからである。


ならば、自己防衛策として「他人はクズ!俺、最高!」と思っていた方が、人間関係をバキバキに壊すという弊害はあっても命を守る事はできる。


なるほど、こうやって考えてみると、他者批判にもそれなりの理由があるのだと納得できる。


「じゃあ、どうやって他人を褒めるんだよ!他人の良い所なんて見つけようがないじゃねぇか!ふざけんな!」


という事になるだろう。本当にその通りだ、どうしよう、困った。


自己を捨てされないと他人を褒めるのは難しい?


自分を守りながら、他人を助ける事は難しい。


これが今回の話の教訓になるのだろうか?


つまりは、「自分はどうだっていい」と思えなければ、心の底から他人の長所を見つける事もできないし、心の底から他人を褒める事もできないだろうし、人助けなんて到底できやしない。


滅私。自分を捨て去ってまでして、他人に暖かい何かを注ぐ、そうでもしないと他人を心から褒める事はできないのかもしれない。


だって、「褒めた結果、自分が貶される事になったらどうしよう!怖い!」という精神状態で他人を長所を見つける事ができるだろうか?無理!


言ってしまえば、褒めた結果として「へぇ、俺ってスゴイんだ!でもお前って俺に比べてダメだよな!はは!」みたいな返しをされる可能性だってあるのだから。



よって、滅私の心を持って他人の人生の幸福だけを考えてみると、自然と他人の長所が浮き上がって来ることだろう!


他人を褒めるための自己強化という折衷案


まぁ、無理である。そんなの理想論である。理想論だけを偉そうに掲げて説教を垂れる人間はアホだと私は考える。


よって、現実的な策を考えるとしよう。物事は現実においてちゃんと活用できて効果があるのか?って事を考慮要素として考える事が大切である。だってここは現実なのだから。


さて、では自己防衛をしたままで他人を褒める、さらには好循環を作り上げて良い社会生活を送るためにはどうするか?って話である。



なるほど、自己防衛をしたまま。ならば自己強化という目的を持って他人を褒めれば良い!名案!


つまりは、自分の長所と他人の長所がイコールになる要素を洗い出して褒める、という事をすれば良いのである!


これならば、自己の自尊心の低下も防げるし、他者の返しで批判される可能性も低い。


具体的に言うならば、自分が「さわやかな挨拶」が得意であるならば、「さわやかな挨拶が得意な他人」を見つけ出して、そいつに対して「お前の挨拶ってさわやかで最高だよな!おかげで毎日いい気分で朝を迎えられるぜ!」と褒めてやればいいのである。


これならば褒めた時に「俺はさわやかな挨拶ができないクズ野郎!死のう!」みたいな気持ちになる事もない、だって自分がさわやかな挨拶ができるという長所を持った前提で褒めるという行動を取っているのだから。諸刃の剣になることはない。



だから、まずは自分の長所をリストアップしよう!その上でその長所に合致する他人を探そう!まずはそいつを褒めよう!


互いに互いを褒め合う、そうすれば心の壁がなくなってくる、つまりは自己防衛本能も薄れてくる、結果として「自分が持っていない長所も褒められるようになる」。他者の良い所を吸収できるし協力もできる。世界平和!




まぁ、この辺が妥協点なのだろう。


まずは自分を愛せ。次は自分に似た人間を愛せ。全てを愛するのはさらにその次で良い。



主体である自己をまず満たしてあげなければ、他者を満たす事なんてできない。


自分の良い所が伝搬して増長して汎化して拡張して拡大していくように、少しずつ幸せを育てていければいいのである。