「いつでもできる」と思うと途端にやる気がなくなる法則

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期間と回数がモノの価値を高める

期間限定とか、消費回数が限られているとか、そういったモノに焦りを感じて「期限があるんだから、いまの内にやっておかないと、もう二度とできなくなるかもしれない!」と思考して、それを実践する。


この焦りの気持ちがあるから人は行動に移れるのだが、焦りの気持ちをずっと頭の中に抱えている情報は精神衛生上よろしくない。いつもなくなる物に対して意識を向けているのだから、まぁそれは辛い。



だからこそ、「焦り」や「不安」という精神状態を得たいがために、できる限り「いつでもできる」「何回でもできる」という状態に持ち込もうとする場合がある。いつでも何回でもできるようにするため、結構なお金を費やしたりする。




で、その結構なお金を費やした結果として、そのその人は「いつでも何度でも」実行可能な状態に変化させる訳なんだけど、何故だが不思議な事に、実行する回数が劇的に増加する訳ではない。というか「期間や回数が限定されている時の方が」実行回数が多かったり、大切にその時間を活用したりする。



つまりは、安心感ばかりが優位になってしまって、手に入れたモノを粗末に扱ってしまう、という現象が発生してしまう。


そんで、たまに思い出したように瞬間的に「人はいつ死ぬかわからない」とか「身近にある大切なモノの存在を人は忘れがちだ!」なんてハッとなって、急に人が変わったように手に入れたモノを大切にしたりするんだけど、それは一時的な発作のようなもので長続きはしない。



人がいつ死ぬかわからなくても、今の私は生きている。

身近にある大切なモノに一々感動していたら、日常生活に適応させられない。

終わりがあるから注目される


死ぬ死ぬ詐欺とか、終わる終わる詐欺とか。


そんな行為が流行る理由も、そうなってくると明瞭になってくる。



どんな良いモノでも、まぁ飽きるのである。花火でもマンガでも世界遺産でも大切な人間でも。


素晴らしいモノを何度でも素晴らしいと認識する事はできても、あの感動を連続的に何回も体感する事は人間の脳みそには難しい。



だからこそ、他者からの注目や好意を断続的に得るためには「他者に自分の終わりを意識させなければいけない」のである。



いつも同じ面白いでも、「いつ終わりが来るか不明瞭である面白さ」と「永遠が終わりが来ない事を感じさせる面白さ」であれば絶対に前者の方が他者の注目を浴びる。


サザエさんは終わらないし、いつもそれなりの視聴率を保っているのだろうが「感動」とか「展開への注目」とかの類の強い興味は一切ないはずである。サザエさんは惰性と安心を感じながら日曜日の夜をゆっくり過ごすための睡眠導入剤や精神安定剤の役割の方が強いだろう。

何かを愛する条件に「期間と回数」が入っているのは如何なものだろうか


とはいえ、何かをする理由が「いつ終わるかわからなくて不安だから」というだけでは、あまりにも寂しい。



最終的に何かをする理由というのは「期間とか回数とか関係なく、それだからこそ、やりたい!」であるべきだと思う。



何かをやるキッカケとして回数や期限を人質にするのは結構だが、焦燥と不安をトリガーにして行動し続けるなんて、なんで生きてるのがわからなくなるコースまっしぐらである。



期間と回数という呪縛から解放されて、そのものの魅力に十分取り憑かれて、それそのものに没頭できるのが最終的な到達点であると思う。