「迷い」や「戸惑い」が生まれる理由

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迷いの記事の振り返り

迷いの法則、なんて記事を以前に書いた記憶がある。


例えば「何かをするべきかどうか?」という迷いが発生した時には「待てば待つほどに実行しない事を選択するようになる」という事を述べた。


行動的になりたいのならば時間は短い方が良い!という主張までしたかどうかは定かではないが、まぁ時間が人をいつも通りに戻すという話であったような気がする。



できなかった事を悔やむのは気分が悪いし尾を引くから、さっさとコインか何かで決めてしまえばいい!と主張したような気もする。



まぁ、こんな物は過去記事を読んでみればいいのであるが、今回は読まない事にする、リンクも貼らない。なんかそんな気分なのである。過去にとらわれるよりも未来を見ようぜ!ってな気分である。まぁめんどいのである、そしてそのメンドさに意地っ張りが重なったので、もう貼る気はない。


別に今回の内容とはまるで違う事を話すつもりでいるのだから、別にいいのである。

迷うってのは不足している証拠


でだ、迷いという思考が発生した時に人の心はどうやって動くのか?って話では今回はなくって、単純に「どうして迷いは発生するのか?」って話である。



まぁ、こんな事は言うまでもない事なのかもしれない。だが、言うまでもない事を突いてみる事で見えてくるものもあるだろう。当たり前を疑う事からの発展も世の中にもある。

私にとっては当たり前の事だと思っていたけれど、あなたにとっては全然普通の事じゃなかった!大発見!って事があるからこそ、人と人はコミュニケーションを取る必要性があるのである。



自分の当たり前が他人にとっても当たり前に当たり前であると当たり前に思っているから極々自然に争いやディスコミュニケーションが生まれるのである。



でだ、どうして迷いが発生するのか?って話である。


人が迷う理由ってのは基本的には「不足」しているからなのである。


「AとBのどっちにしよう?」という迷いはAかBしか選べないからこそ迷いのである。


Aを選べばBは不足するし、Bを選べばAは不足するのである。だから人は迷う。


ってことは理想的な迷いへの対処法ってのは「AとBの両方を手に入れる」って事になる。


まぁ、言うのは簡単だけれども、実際に実践する事が現実的に無理だからこそ人は迷うのだけれども、、、


捨てる癖と思考の檻

さて、「人が迷う原因は不足している事にある!」と言った所で基本的に物事は解決しない。


どう頑張ってもどっちかしか選べないから迷ってるんだよ!ってのは至極当たり前である、迷わざるを得ないから人は迷うのである。



時間は有限だし、才能にも限界がある、文化や他者に制限される場合は多々ある。


だから人は迷いと選択を余儀なく複数回毎日執拗に迫らせるのだが、それでも「迷いを解消する方法は不足を解消すること」という事だけは覚えておいた方が良いのでは、と思う。




迷って、どちらかを切り捨てる。という思考の癖に慣れきってしまうと、それが当たり前になってしまう。


両方とも手に入れる可能性を捨てきってしまう癖が付いてしまう。これはよろしくない。


人の思い込みの力というのは偉大かつ残酷なもので、ちょっと脳みそを捻れば実現可能な物でも、自分の思考の檻の外にある世界には手が届かないように出来ている。


「どちらかを捨てなければならない」という思考の檻を自分の脳みその中に建設してしまう事は、「両方を取得する」という理想的な状態を捨てる事に相当する。

迷う時にまず考えるべきこと


人生を生きる上では、現実と仲良くならなくてはならない。そして現実は往々にして取捨選択の連続である。迷って、捨てるのが連続が人生である。


だが、それでも迷うという事は両方を欲しいと願った結果だ。その片方の願いを安易に捨てられるようになってしまうと、今現在手にした願いさえも粗末に扱ってしまいがちになる。



「基本的にどちらかを捨てなくてはいけない現実に住んでいても、基本的には両方手に入れるつもりで考えなくてはいけない」



酷い要求であるが、そうでなくては両方手に入れるチャンスを逃す事になるのだろう。