才能がない奴は流行に乗れ

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愚鈍は孤高に居座れない


孤独に生きる権利を持つ人間とは、才能豊かで十分な自立心を持ち得ている者だけである。

世間では孤独は悪いものだと言って非難するけれども、それは狐がブドウを手に入れられない時に吐く悪態と同様の現象であり、孤独を所有できないが故の負け惜しみなのである。



そう。孤独は価値の高い優れた性質なのである。だからこそ自己理想の姿だけをひたすら追求しようとする中二病男子なんかはクールな孤独キャラを演じるのである。それこそが一番価値の高い性質だと、若いながらに直感的に知り得ているからである。


しかしながら、若い人間には知り得なかった自分の才能というものを年月を重ねる度に否が応でも知っていく。


そして、自分の才能で購入できる現実の価値を知った時、そこに孤独は含まれない事を痛々しい程に理解させられるので、大半の大人は孤独を否定して遠ざけようとする。



自分は孤独になる事に失敗したから、よって孤独が妬ましいから、それがバレるのは恐ろしいから。



孤独は価値が高いが故に、大勢から忌避される。


才能豊かな人間。芸能界で遊んで暮らしているように見える人間。そういった人間が嫉妬されて嘲笑の対象にされるのと同じように、また孤独も同様に扱われるのである。


大衆に迎合する能力


という訳で、タイトルにもある通り「才能がない奴は流行の乗れ」という事である。



大人になって人生が上手く行っていないケースというのは単純に言って以下のパターンが挙げられる。

  • 能力がない
  • コミュ力がない
  • 両方ない


これだけである。そして孤独というのは能力がある人間が手にする事のできる宝である。


能力がない人間でも成功する事はできる。コミュ力さえあれば今の社会でも成功する可能性は十分にある。というか中途半端に能力を有している人間よりも成功する可能性を秘めていると言ってもいいだろう。


当然だ。金というのは人間が持っている物であるのだから。その人間に愛される能力というのは同時に金からも愛される能力だと言っても過言ではないからだ。



だから「才能がない奴は流行の乗れ」という事なのである。要するに大衆に迎合しろ、という事である。


大して才能がないのに、大衆の流行に乗る事もできない奴というが「能力もなくて、コミュ力もない」人間であるのだから。

能力の限界とコミュ力の柔軟性


「能力がないならば、能力を鍛えればいいじゃないか!」


そういう主張もあるだろう。しかしながら、そちらの道は簡単ではない。なぜなら能力はハードの問題だからだ。


自分の体の成長限界はある程度決まっているし、「能力もとい脳力」の才能や限界も遺伝子的にある程度決められている。


髪の色も、背の高さも、顔の形も、声の質も。きっと誰かに似ているのではないだろうか?つまりは両親に似ているのではないだろうか?それが才能の限界である。



凄まじい努力をすれば多少の差は付けられるかもしれないけれども、無論凄まじい努力をしなければいけないし、付くのは多少の差である。「ハイリスクローリターン」という奴である。



一方、コミュ力というのはソフトの問題である。つまりは振る舞いの問題である。


無論、この分野において才能の問題がついて来るのは言うまでもないのだが、別に「髪の色も背の高さも顔の形も声の質も」笑顔にも話し方にも気遣いにも媚び諂いにも流行に乗る事にも、なんら影響しない。そんな事は自分の体がどんな物であろうが、実践可能な事である。


  • 面白い話を頭の中に記憶させる事に大した才能はいらないだろう。
  • 今最近の流行を知り尽くす事にもさほど努力は必要ない。
  • 権力を持っている上司の好きな物や、されると嬉しい事を熟知して実践する事も難しい事ではないだろう。


言ってしまえば、能力を鍛えるよりもコミュ力を鍛える方がよっぽど簡単なのである。


それに、コミュ力は年齢を重ねても、仕入れもアップデートもさほどのコストを必要としない。

しかし、ハードである能力の問題は、寄る年波には勝てない時が来る。

流行を馬鹿にするな

自分に才能がないと薄々感じていて、尚且つ人生が上手く行っていないというのならば、まずは今最近の流行を調べる事から始めてはどうだろうか?


基本的に人間という生き物は群れを為して生きていく生き物である。自分一人の才能だけで生活していこうとする方が異常なのである。



コミュ力がちゃんと鍛えられれば己の能力を発揮する機会にも恵まれるので、将来的には自分が欲しいと思っていた能力にも恵まれる可能性もある。



才能とコミュ力の両方が噛み合うからこそ、物凄いスピードが出る人間もいる。



己の適性というのは己自身では簡単には理解できない物であるから、一つ流行に乗ってみるのも手かもしれない。