イロトカタ

純然たるイロトカタです


偶然に身を任せないから何も変わらないし、つまらないし、成功できないんだよ。

今まで悪いと言われてきた事を掘り起こしてその価値を有効活用する。

その辺のスキルが高い人間は、成功する可能性が高いのではないか?と思う。


なぜなら、世間が見向きもしないゴミのように扱われている価値の高い情報を自分がほぼ独り占めできるって時点で「安価で高級な物を手に入れる事に成功」している。

追加で、世間の価値基準を大きく揺るがすという現象を巻き起こせるって事はそれだけで知名度も関心度も上がる。


要は、「高価値資産」と「集客宣伝」の両方を一挙に取得する事になる。まぁこれは成功して当然の流れだろう。


元々のレベルが高かったり、異常なまでの努力を実践できる人間にとっては、「世間が認める価値の高い物」を「周囲の人間を蹴散らして」望む物を手に入れれば良いのかもしれない。


しかしながら、通常の人間にそれは難しい。何故なら通常の人間は蹴散らさせる側であるからである。


よって、通常の人間にとってはゴミ漁りという観点で、もう既に存在して慣れきって見向きもされない物や情報について目を凝らした方が幸せになるケースもあるかもしれない。



そんな事を、ふと思った。


凡人である事を自覚した人間は、そして強く成功したいと望む人間は、奇人変人の類へと思考を変化させなければ可能性がないのでは?そんな事を思う。


凡人が普通の努力を普通の方向性でやったら結果はもう見えている。普通の結果しか生まれない。


ステータスが平凡であるのならば、精神は異常でないと絶対に普通の結果に終わるだろう。


貧乏か金持ちか。凡人が成功を望むのならば、そのどちらかを覚悟しなければならない。


いわば、コインの裏表で人生を決めるような挑戦の仕方しか、凡人には実践できないのではないだろうか?


言ってしまえばランダム性に身を任せる。サイコロを振るように歩いて行く。そんな常軌を逸した行為の上で物事は大成されるのかもしれない。



今現在から当たり前に考えて導かれる結果に納得がいかないのならば、どれか一つの要素にランダム性をもたせるしかない。そして何度もサイコロを振る間に見えてくる知見と、偶然成功した物事を大切にして、普通の凡人に対するアドバンテージを付けていくのが、妥当な策ではないだろうか?



人は時として、当たり前の事が当たり前に考えられなくなる。それは期待や希望や自尊心が人の視界を混乱させるからだ。


毎日同じ道を行ったり来たりするだけでは、見える景色に対した変化がある訳がないし、何処か遠くへ辿り着ける訳でもないのに、何故か夢見がちな事を考えてしまうのが人間だ。


しかしながら、小さな要素がほんのちょっと揺らいだだけでも大きく変わる可能性を持っているのも人間だ。


だからこそ、世間から見れば狂気としか映らない行動であっても、ランダム性を持って何か行動を起こす事は決して阿呆ではない。


阿呆とは、毎日同じ行動しか取らないにも関わらず、いつもとはまるで違う未来を期待する人間の事だからである。


偶然に身を任せ、喜びと新鮮さと成功に満ちた人生を送る事を祈る。