イロトカタ

純然たるイロトカタです


「何者」と「自己の本質」と「追求により生じる不足」

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何かになりたい私達

何者かになりたくて懸命に生きている人。

日々を幸福に生きる事が至上の目的であり、何かになろうとは露ほども思わない人。


目的がある人も、目的がない人も、どちらにもそれぞれの魅力がある備わっているのだが、どうにもふとした瞬間に真逆の人間に憧れてしまう時が来る。


「本当に、これで良かったのだろうか?」という疑問である。こういう思考は誰の頭の中にも浮かんでくる事だろうと思う。


毎日をそこそこ幸せに生きていて、生活するに困る事など一切なく、これからの希望も結構あったりする人間でも「これでいいのか?」という疑問が何の理由もなく出てきたりする。


別段、深い理由がある訳ではない。ただ疲れていて思考転換というリラックスがしたかっただけなのかもしれない。自分自身で自分がなぜこんな思考をしたのかを考えながらも、皆一様に元の思考と生活に戻っていく。

不足を呼び出す魔法の呪文「これでいいのか?」

「本当にこれでいいのか?」

完全な満足がないこの世界においては、真剣な表情の誰かに問い詰められてしまうと、あっさりと自分の人生に疑惑の念を投げつけてしまう。


無論、それに対しては「これでいいのだ!」という「かの天才が発した言葉」がそのまま正解になるのだと私は堅く信じているのだが、これが中々難しいものである。


今までの人生を生きてきた私を軽い気持ちで侮辱するような、そんな発想については堂々たる態度で「これでいいのだ!」と返してやる必要があるにも関わらず、完全な理想を脳みそが作り上げて、そこからの引き算によって私は私の人生を侮辱してしまう。


超大物俳優にならなければ駄目とか、世界一の大金持ちにならなければ失敗とか。

まぁ、そこまで大層な事を言わないにしても、無茶な目標を立てて無駄に人生をつまらなくする人はたくさんいるのである。

「何者にもなれない」という悩みの発生原因

【「これでいいのか?」を他者あるいは自分から浴びせられた結果】

【だからと言って具体的に目指すべきイメージが存在しないという結果】
が重なり合った状態こそが「何者かになりたい」という願いなのだろう。


何者にもなれない私。

過剰な理想を押し付けられ、現実的なサンプルを渡さず、放置される。それによって「何者にもなれない苦痛」を味わう人間が誕生するのである。


そんなこんなで無くてもいい悩みが発生すると、無くてもいい災いが発生してしまうのであり、何にも良いことなんてないのである。


否定は何かを削ぎ落とす行為であり、何もない人が何かを削ぎ落とせば骨と皮になるのは当然である。

他者から言われないと納得できない事もある

という訳で、何者でもない人が「何者にもなれない」と言って悩むのは大層無駄、という結論なのである。

言うまでもない事であると確信しているが、人間は理屈でわかっていても感情がそれを拒否する事が多々あるのである。

そして、そんな「理屈じゃない感情による否定」は他者の力によって否定される事で解決される事も多い。


自分自身に言い聞かせても一切効果がない事が、他人にちょっと言われただけで絶大な効果があるって事である。言葉の魔法である。


「何者にもなれない、と言って悩むのは無駄」、「何者にもなれなくても、いいんだよ」「そもそも人間には本質的な価値なんて、ないんだよ」の3点セットで「何者」にまつわる悩みを払拭したい所存である。