イロトカタ

純然たるイロトカタです



かの明石家さんまさんだって「人から好かれたい欲」が過剰あり過ぎたせいで成功したのである。他者に過剰に依存するのは悪い事と言われるが、それを有効活用したのである。



<NEWアルバム>
チリヌルヲワカ/ノンフィクション
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文字と人とコミュニケーション

文章を書きたいって事は「誰かとコミュニケーションを取りたい」ってのとほとんど同じなのではないだろうか?

「誰か」というのが自分自身であってもそれはそれで良いのである。自分という人間と意見交換をして、ちゃんと自分を理解するという目的で文章を書く機会は全然あるだろう。

ただ、やはり言葉を理解できるのは生物の中では人間だけなので、文章を書く時の対象はやはり人間になるのだろう。


そう考えると、文章をまるで書く気分が起きないとか、全然ネタが浮かばない、ってのは「他人や自分に対してそもそも訴えたい事がない」という事に近しいのだろう。
(「書きたいけど、上手に書けない」というのは、またやる気もあるしネタもある状態なので、別の話である)


なるほど、そう考えると「人間が大好き!」とか「人間が大嫌い!」とか、「いつも会ってるアイツに言いたい事が山ほどある!」とかそういう「人に大きな関心を持っている人」の方が文章を山ほど書けるだけの準備が整っているのかもしれない。


逆に「人間なんてそんなもんさ」とか「人は皆それぞれ違っているんだから、いちいち目くじら立てても仕方ないさ」みたいな達観した感じの精神状態を持っている人は全然書きたい気持ちが湧き上がらなかったあり、ネタが全然見つからない状態になる気がする。

要は、人間に対する強い関心こそが執筆欲とネタ量を高めるのである。解脱して悟りを開いた人間にはきっと文才がないのだろう。

悪癖転じて福と成す

いっつも面白いネタを提供する人ってのは大概「他人が笑ってくれるのが楽しい!」とか言う性格みたいだから、ちょっと穿った見方をするならば「淋しがり屋で皆からかまって欲しい」という人間に対する強い欲求こそが面白いネタを創出していると言っても間違ってはいないだろう。


かの明石家さんまさんも「人から好かれたい病」と自身を表していた。なぜ「人から好かれたい」のかは不明であるが、他者への強い欲求こそが明石家さんまさんをお笑い界の頂点へと進出させたのだと思う。


「淋しがり屋」も「かまって欲しい欲求」も、「誰かから異常に好かれたい気持ち」も世間一般からすれば、褒められるような要素ではない。それでも世の人気者達は世間から悪と評価されるような感情を正しい方法で満たす事で成功してきたのである。

ただ大きなエネルギーがある、というだけのこと

自分が抱えている欲求や性格がどんなものであれ、それを正しい方法で満たす事ができるのならば、それは立派な武器になる。ポジティブに考えるのならば、そう解釈する事もできるだろう。


しかしながら、逆に考えるのならば、自分の意志ではどうすることもできない「欲や精神状態」を満たすために、日々死に物狂いで必死になって頑張らなければいけないのである。その気持ちを抱え続けるのは、もしかしたら死ぬほど辛い事なのかもしれない。表面上は笑っていてもだ。


欲の大きさは人に大きなエネルギーを与えるけれども、大きければ大きい程に制御は難しいし、欲は解消してもまた生まれるし、生まれ続ける限り解消するしか術はない。


それを才能として自分の糧とするか、呪いとして世の中を憎むかは、運と自分次第である。