イロトカタ

純然たるイロトカタです



「死なない事」と「生きる事」、危険は新鮮で、安全は退屈である。



<NEWアルバム>
チリヌルヲワカ/ノンフィクション
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個性と希望と活躍を

ドラクエのレベル上げが楽しかったのはどうしてだろうか?

特に言うならば、モンスターを仲間にできる系のドラクエで、自分の好みのモンスターのレベルを上げるのはどうして楽しかったのだろうか?

中途半端に大人になってしまった私には、理路整然とした言語もできないし、全身をフルに使ってその楽しさを伝えようとする事もできない。

しかしながら、昔の思い出を思い出す事くらいの事はできるだろう。どうして私は子供の頃、現実には何ら役に立たない電子情報。それも電子情報の中でも大して効率的でもない要素を爛々と目を輝かせて鍛え上げていたのだろうか。

それを考えていると、個性と希望と活躍を言語化せずにただひたすらイメージとして妄想していたような気がする。

自分らしさを大切にして、その上で皆を出し抜き、想像もしないような未来を希望していた。そんな妄想が何の根拠もなしにリスクなんか考慮せずに絶対に叶うと思っていたからこそ、あんなにひたむきに行動していた気がする。

ほとんどの大人が持っている才能

リスクなんか考えないで、絶対に成功すると確信して、成功した暁には楽しくて仕方がない何かが待っている。そういう何かを言葉にせずに漠然としてイメージを広げていたからこそ、子供の頃はあんなに熱中できたのだろうと思う。


大人になれば、リスクがある事を体と経験がよく知ってしまっているし、自分の才能も身の程もよくわきまえているし、成功した所で思った以上の成果が得られるとは限らない。「なんだ、こんなものか」という呆気なさが全身を包んだ経験がある人にはきっとわかるだろう。


つまりは大人になる事で、「死なない才能」と「ブレーキを踏む才能」が磨き上げられてしまっているのである。


子供は平気で怪我をする。無邪気に暴力を振るう。笑いながら自分の命を危険に晒す。


そんな危険を大人は鍛錬の成果によって簡単にブレーキを利かせてしまう。行動する前に未来を想像すれば、それは極々現実的であり、実際にその通りになってしまう。さらにはその未来は面白いものでもなんでもない。そらまぁつまらないだろう。

死なない事と生きる事

中途半端に大人になった人間が、子供に学んでこれからの生活を楽しくするのであれば、「自分の命を乱暴に扱い」「ブレーキなんか捨ててしまう」事なのかもしれない。

どうしてせっかく「死なないための才能」をせっせと磨き上げて大人になったのに、苦労の末に手に入れた才能を捨ててしまうのだろうか?

と今思ったので書いたけれども、その「死なないための才能」は自分が欲しくて作り上げた才能なのだろうか?

国や学校や親から植え付けられたものではないだろうか?国民には、死なないで毎日真面目に働いてもらって、税金をできるだけたくさん払ってもらった方がいいから、そういう思想を押し付けた方が得なのかもしれない。


まぁその辺の真偽も、せっかく獲得した才能を捨てる事が良いことがどうかも、私には断定できないけれども。それでも「死なない努力と生きる努力はまるで正反対」なのだと言う事はよくわかった。

大人とは何たるか。それも私は断定する事ができないけれども、個人的には「大人は子供の良さを内包した存在」であれば格好が良いなと思うのだが。