イロトカタ

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アンダーラインとその心



<NEWアルバム>
チリヌルヲワカ/ノンフィクション
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アンダーラインは心のあがき

一つの塊の中には、核となる部分がある。全身全霊を込めた成果の中でも、特に自分が心を込めた箇所というのがある。

思い出深い所であり、自分の魂を叩きつけた場所でもある。

できることなら「自分が心を込めたその場所」は他人が自然と目を向けて賛美してくれるものだと信じたいのである。だがしかし、人の思いは容易には伝わらない。簡単には伝わらないからこそ、人は何かに自分の想いを打ち込むのである。

幾分かも伝わらない心をどうにかして伝えようとする事にこそ人と人とのコミュニケーションの尊さがあり面白さがある。

全身全霊を込めたそれが全部伝われば素敵なのだろう。しかしそれが夢物語であり現実逃避である事は、ある程度場数を踏んできた人からすれば身に沁みて、心に染みてわかることだ。


アンダーラインは、数多もの訴えを試みた人達の、せめてもの「もがき、あがき」なのではないだろうか?


自分の全ては人にはまるで伝わらない。それでもせめてこれだけは、伝えたい。できる事なら全部を伝えたいけれど、それが無理ならどうにかしてこの部分だけでも。と、もがいた証拠なのではないだろうか?

言葉の先には人がいる

人は人に何かを伝えようとする。懸命に伝えようとする事の必死さは、対面であれば手振り身振りで伝わる。言語化できなくても本気度は伝わる。

しかし文章ではそれを伝える事は容易ではない。感情のままに文を振り回しても逆効果である事は多い。

対面ならば、感情の強さがそのまま体全体を通して伝わる。心は体に直結しているのだから比較的表現は容易だ。

文章であると、文字を通して、色々な物を経由して意志を伝える事になる。仲介する物が多くなりと「ありのまま」を伝えるのは困難だ。


それ踏まえて、アンダーラインは文章の起伏であると考える。

人が対面を通して、「何を持って感情的であるか?」を判断するならば、それは起伏だろう。


静かで淡々としていたのが、急に手振り身振りを使って声を荒げるから、その人に感情を感じるのである。

ならば、文章においても、そんな起伏が多分にあっても良いだろうし、その起伏に人は注目するべきなのだろう。

そして、書き手の側も伝えたい事が自分の意志であり感情であるならば、文章表現の幅を広げて感情を表現しようとするべきなのである。

語彙の多さや言い回しだけにこだわる文章の想いは伝わりにくいから、人の心を揺さぶりにくい。

対面で考えればそれは容易だろう。表情もボディランゲージもなしに、ただ淡々と言葉を口から垂れ流すだけの人間に心を打たれるだろうか。文章を書くにあたっても、それは同様である。

キーボードを叩いているだけでも、ペンを動かしているだけでも、その先に人はいるのである。