イロトカタ

純然たるイロトカタです



自分の信念を守り抜くことが人生を満足させる秘訣である。



<NEWアルバム>
チリヌルヲワカ/ノンフィクション
画像をクリックすると商品ページへ移動します。

それを追いかける理由

自分の人生に満足できる人とはどのような人か?

お金持ちになった人だろうか?それとも名誉と名声を得た人だろうか?素晴らしい配偶者に恵まれた人だろうか?

それらが人生の満足において不可欠なものかどうかは定かではないが、それらを追い求めて日夜全身をフル稼働させている方々が世界には溢れている。

「何々さえあれば、私は幸福になれるはずだ!」と思う時の「何々」は人によってそれぞれ違うのだが、その自分にとっての「何々」を決定した根拠というのは薄いのではないだろうか?「何々」を手に入れるためなら、今も友も家も蔑ろにする人が多々いるにも関わらずだ。


自分にとっての「これさえあれば幸福になれる何か」というのはマスメディアや家族の影響が強いのではないだろうか?

他の誰かがそうだからとか、誰かにそうだと教えられたからとか、そう言った「さほど理由としては不十分過ぎるイベント」によって人は追求するものを決定してはいないだろうか?

信念さえあれば

「何々さえあれば、幸福、及び満足になれる!」

そう思って人は日々を生きている。それが例え消極的なものであれども、それこそがその人の「信念」である。


「死にたくない!できるだけ頑張らないで生きたい!でもお金の問題があるから仕事には仕方なく行く!」

これだって信念である。「不死、楽、怠惰」という要素が自分を幸福にしてくれると信じているからこそ、人はそこに向かうのである。


また、「俺はラーメンが大好きだ!毎日食いたい!そのために健康を犠牲にしても構わない!」という考えだって信念である。その人にとってはラーメンを追求する人生こそが「幸福、満足」であるのだから。ラーメンの食べ過ぎのせいで健康を損ない短命に終わったとしても、自分の信念で生きたその人は素晴らしいと思う。

何を貫くか

で、こう思うのである。

「自分の信念は適当なものではないか?そしてその信念を守り抜けるのか?」と。


信念を守り抜けない人生というのは、辛く悲しい人生であると思うのである。無論、人生の節目節目で自分の信念を揺るがす事態は発生するだろうから、より素晴らしい信念に変化させて生きていくのは良いことである。


ただ、人生が終結に向かう時に「周囲から押し付けられた適当で曖昧で根拠の薄い信念」しか所有しておらず、尚且つその信念さえ守り抜けなかったら、その人には何があったのだろうか?そこに満足と幸福はあるのだろうか?

お金があれども、名声があれども、素晴らしい人間に囲まれても、そこに満足と幸福はないように思える。


自分が人生において大切だと思う事を貫き通す事ができないならば、自分は自分に納得できるのだろうか?

結果は敗北に終わっても、自分が納得できるように生きればそこに「幸福と満足」は付いてくるのではないだろうか?

言うまでもなく、勝利を獲得して金銭と名声と良縁に恵まれて、自分の信念のままに生きるのが最良である。

だが、全てが自分の思い通りに運ばない現実の中で、複数の選択肢を前にした時、「自分にとっての勝ちとは何なのか?自分の信念とは何か?」を深く考える事が人生を納得させ、「幸福、満足」に生きる秘訣なのだろうと思う。