イロトカタ

純然たるイロトカタです



プルトップ、缶への愛着、好きを操る



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チリヌルヲワカ/ノンフィクション
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情報伝達にも好みがある

一番手軽な飲み物はなんだろうか?

手軽な飲み物というか、飲み物を飲む際の「一番手軽な容器」はなんだろうか?

大切なのは飲み物そのものであり、何を容器にしても美味しいものは美味しいし、不味いものは不味いだろう!という主張も概ねその通りなのだろう。

口頭で伝えようが、メールで伝えようが、電話で伝えようが、ボディランゲージで伝えようが、伝達する内容に大きな違いはない。本人が心から思っている事が相手に正しく伝わるのならば、それに越した事はないし、手段は大きな問題ではなくなる。


それでも中身も問題ではなく、手段に対して愛着を持つ事はよくある事なのではないだろうか?少なくとも私はある。情報伝達ならば、私は直接会話をするか文章で綺麗にまとめる事を心掛けた上で伝達するのが好きだ。相手の反応を見ながら会話によって伝達するか、途中経過が観察できない状態で相手の心情を予測しながら文章によって伝達する事のどちらも好きだ。

逆に、電話みたいな「相手の反応がわかりにくい」が故にこちらが話を切り出すタイミングが非常に難しい伝達方法はあんまり好みではない。声だけの情報だとリズムが掴みにくいのである。いっその事、相手の反応など気にしないで自分が言いたい事を言いまくれば、それなりにスムーズに進行するのかもしれないが、それはそれで後々気不味いのである。


という訳で、オールオアナッシング的な情報伝達が私は好きなのであろう。

好きの理由は


ならば、その流れで行くならば「飲み物の容器」として一番好きなのは「ペットボトルか紙コップ」くらいな物になりそうな気がする。

自分で自分を予測するのも変な話だが、オールオアナッシング的な発想ならば、「飲んだら即座に廃棄できる紙コップ」か「密封、強固、保存という凄まじい性能を備えたペットボトル」の両方を好むと思うのである。


しかしながら、私が一番好きな飲み物の容器は「缶」なのである。あの、一度開栓したら、飲みきらないと後々面倒な事になる缶である。捨てるのもちょっと面倒な缶である。非常に中途半端な位置に存在する缶である。


何故だろうか?

いや、そんなん知らんわ!って話である。「自分が好きな物がなぜ好きなのか」って事を理解する事が「自分を理解する事」に繋がるのであろうが、「自分で自分を理解する」なんてそんな困難な事は中々達成できないから、やっぱり私は缶がどうして好きなのかを説明できないのである。


まぁ、なんとなく、である。


あのプルトップを空けた時の音と炭酸の音の感じがいい!みたいな事は言えるには言えるけれども、それが本当の理由であると私は断定できない。

ただ、馴染んでいるからかもしれない。私が好きな飲料が缶でしか販売していなかった事が多いから、自然と馴染んだのかもしれない。それも自動販売機の半分、もしくはそれ以上は缶飲料である。繰り返す回数がダントツに多いのだから缶を好きになるのも当然の流れかもしれない。

制御し難い好き

好きになってから、それに対しての理由の後付けは簡単だが、好きになるための過程の構築は困難である。

「好きになっちゃったもの好きになっちゃったんだから、しょうがないもの」という恋愛系の本の代表的な台詞は多くの「好き」に通じる台詞であると思う。


なんか知らないけれども、好きになってしまい、それを極めたり、それで食っていったり、それのために生きたりするのである。


「それ」があんまり自分を幸せにしてくれなくても、他の何かを意図的に好きになるのは簡単じゃないから、「なんとなく好き」を続けてしまうのである。


その好きに引っ張られる道の先が、明るいものなのか、暗いものなんかは人それぞれである。勝利者は脚光を浴び、敗北者は土に埋もれるから、その割合がどの程度なのかは私は知らない。


「好きを操れたらいいなぁ」とは思うけれども、どうしようもない力で私を引き付けるからこそ好きなのである。自分から簡単に引き寄せられる何かを好きにはなれないのである。


という訳で、私は缶で飲み物を飲むのが好きである。