イロトカタ

純然たるイロトカタです



シーソーゲームと人間関係。大人の仕事は子供の遊びの延長線。



<NEWアルバム>
チリヌルヲワカ/ノンフィクション
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人と釣り合い

つまりはシーソーゲーム的に人間関係は紡がれていくのである。

ある程度の重さが釣り合っていないと、どちらか一方が非常に体力を使う事になってしまい、その関係は長続きしないか歪な形で継続される事になる。

互いに向き合って、互いに地に足つけて高く飛ぼうと足掻かないと、関係性は維持できない。お互いの意志がないと関係はその時点で壊れるのである。


どちらかが高く上がる時、もう方は沈む。だがしばらくすればそれが逆転する。信頼関係を前提として上下関係の起伏の波が二人の関係を丁度良い温度で維持するのである。


どちらかが動くのを辞めれば、その温度を維持するためにはもう片方が必死になってシーソーを動かさなければならない。とは言っても相手が何もしないでその場に座り込んだままならば、シーソーは動かない。それをどうにかするためには説得するか、強い重さと勢いを使って、相手を無理やり持ち上げるかするしかない。


説得か暴力か。人間関係を結び直すにはそのどちらかしかない。


できる事ならば、説得という相手の意志を尊重した形で再構築したいものである。その方が、長期的に安定したシーソーゲームを行なう事ができるし、相手がシーソーを辞めたいと思った時に、穏便に平和に安全にそれを終了させる事ができるだろう。未練はあっても禍根は残さない幸福な結果が得られるだろう。


しかしながら暴力的な手段が伴ったシーソーゲームというのは、いつどうなるかわからない。本当にわからないのである。何故なら相手の心は不信感で満ち足りているのだから。


当人が持っている暴力が低下したのならば裏切られるし、相手に味方ができたのならば裏切られるし、少しでも隙を見せたならば裏切られる。


そして裏切られた時の落下ダメージは非常に大きい。実際にシーソーゲームをやって友達が急に降りた時の痛みは途轍もない事を覚えている方も多い事だろう。

大人は子供の延長線上

言うまでもなく、真面目にシーソーゲームをしていれば相手が絶対に裏切らない、という訳でもない。裏切る奴は裏切るし、何をやっても信頼してくれる奴もいる。


そういう意味では誰と一緒にシーソー遊びをするのか?って所の方が大事かもしれない。どんな相手とどういう関係を紡ぐか。人生の面白さを決定する要因はそんなところに含まれている。


子供の頃にやった遊びを、よくよく思い出して重要な部分だけを切り取って社会に活かせれば、余計な事をたくさん考えなくても結構簡単に幸せになったりできるのである。


仕事になると大人の付き合いになると建前や理論が先行してしまい人の目を曇らせてしまうけれども、人と人が繋がり合って何かをするのが仕事である。


物事はまず単純に考えて、そこから複雑さを身に着けて行ったほうが良いと思う。複雑な所から入ると大切な物が何かが分かるまで非常に多くの時間を費やしてしまい、無駄に時間を捨て去ってしまうからである。

上手くいかない時は単純に考えてみる。