イロトカタ

純然たるイロトカタです



「興味のあるジャンル、学問に限って勉強が進まない」とお悩みの方へ


自己の一般化に誰も気付かない

時間を掛けさえすれば、効率の差はあれども習熟するのである。その辺の事が言いたい。

そら、プロレベルの人間ならば「方法はどうでもいい」なんて言っていたら、すぐさま流れ流れて三流くらいに落ちてしまうのだろうが、ロクに何も知らない甘ちゃんな輩であれば方法にこだわっているよりも気軽に行動した方が良いに決まっている。


よく「量と質のどっちが大切か?」みたいな話題は加熱材料として今でも大人気であるが、そんなもんは一概に言えない、言える訳がない。みんな自分の体験と成功から学んだ事が絶対に正しいと思うから議論が盛り上がるんだけど、「正しさってのは複数あるし、その人の特徴と段階によって一番効率的な方法ってのも都度都度違う」事に全然気付かないんだよね。


んで、気付かないままに「今の自分にとっての正しさ」を声高に主張する。んで、それを聞いた人は「私とあなたは特徴も段階も違う」という事をすっかり忘れて過剰反応して世の中を騒がしくしてしまうのである。みんながみんな被害妄想がいいところである。

生兵法と気軽さ

何もやらないよりかは、何かをやった方が良い。

だが、生兵法は大怪我の元という諺もある。実戦においては生半可な知識を持っているからこそ危険になる場合もある、という話だ。


つっても、何一つとしてロクな知識もない初心者に限っては、生半可な知識でもいいから仕入れるべきだと思う。というか生兵法で戦闘行為を行なうというのがマズイ、という話である。完成されるまでは、全ては生兵法なのだから、そんな事を言っていては何も始まらないのである。


だからこそ、初心者はひたすらに生兵法を手に入れる事から始めなければならない。そしてリスクの少ない実戦によって生兵法が生兵法たる所以を存分に理解して、その知識や技術を昇華させていく、という行為こそが習熟であると考える。

そのためには、「気軽に」そのジャンルについて情報収集を行なう方が手っ取り早いのである。

学問と好き避け

何故か不思議な事に、「自分がやりたいと思っている分野」や「自分が憧れている学問」に限って習熟が中々進まない、という人を見る事がある。

その理由を問いただしても、明確な理由を得られなかったけれども、「その対象に心酔と言ってもいいくらいの好意」を抱いているような印象を抱いた。または高尚過ぎると考えるが故の畏怖だろうか。


そういう対象についての「強烈な好意が、逆にその対象へと進む力を失わせる」という形で習熟できていないケースなのかもしれない。これはあれだ、好きな異性に限って上手に喋れなかったり、接近する事ができない「好き避け」という現象なのだろう。逆に対して興味がない異性に限ってスゴイモテるみたいな流れだ。


言わば、その人はそのジャンルに恋をしているからこそ、そのジャンルに習熟できないという葛藤を抱えているのだろう。

恐怖心は恐怖体験によって克服される場合もある

まぁ好きな異性がいる友人に「気軽に行けよ!」と言っても行く訳がないのは経験上十分に知り尽くしている訳である。なので、結局の所、その辺は本人の心に本人が向き合う事で解決するしかない話なのかもしれない。


「好きな人に嫌われてもいいから果敢に挑戦する。」

「興味のあるジャンルに才能がないかもしれないけど恐れず取り組んで見る。」


そういう心の問題を解決する事によって、欲しいと思う物にまっすぐに向かっていけるようになるのではないだろうか。

そう考えるのなら、取り急ぎ「気になっている異性にアタックして振られてくる」みたいな経験が必要かと。大ダメージも繰り返せば慣れるから、その辺の葛藤が薄れるはずである。おそらく受ける傷は好意が大きいほど大きくなるだろうが、その分、心の成長も大きいはずだ。

結局こういうケースは、心と言葉を使って自分の殻の中で悶々としているよりかは、現実での世間との関わりの方が遥かに効果的なんじゃないかと思う。

まぁ、それは「泳げない子供を無理やり川に突き落として水泳の練習をさせる」かの如く暴挙であるが、そういう暴挙を「自分自身に甚大なリスクがない程度」に課していく事が成長に繋がるのも確かである。(言っとくけど、他者に許可なく無理やりやるなよ。自分が自分に何をしようが勝手だが、それを他者にやったら暴力だし犯罪だし糞だからな)


一生安全圏での温室育ちをしてきた人間が強い人間がなれる道理はない。