イロトカタ

純然たるイロトカタです



人間には遺伝子的に考えて限界がある。馬鹿が天才になる事より大切なこと。


学習速度は才能に依存する

人生が上手くいかない時、自分の事が果てしなく馬鹿だと思う時。そんな時に「天才になりたい」と思う事がままある。

天才ならば、常人が1日掛けて読了するような本を1時間で読み上げ完全に習熟するであろうことを想像すると、涎が出る程に憧れる。

残念ながら馬鹿の部類に属する私は、常人が1日掛けて読了するような本を一週間掛けて読み上げて、内容なんか20%程度以下しか習熟できない始末である。

できる人間はべき乗で成長していくし、できない人間はいつまで経ってもまるで成長しない。

知識や知恵は連鎖反応を起こして発達するものであるので、記憶力と理解のスピードが速ければ爆発的に成長のスピードも上がるのである。

馬鹿はなぜ本を読まないのか

「馬鹿が成功しないのは本を読まないからだ!」という主張はよく聞こえてくるが、これは当たっているようだが、全くの検討違いである。

馬鹿だって本を読もうと努力したけれども、自分自身のあまりの理解力と記憶力のなさから推測される未来予想図は、果てしない青空のように真っ青なのである。何もない事が容易に想像できる。馬鹿でも自分自身の才能くらいは漠然と想像が付いてしまい絶望して、馬鹿であることを覚悟しているのである。


馬鹿は成功できない。よって馬鹿が成功するためには、本をたくさん読むよりもまず先に才能を高める必要がある。にも関わらず、人の才能というのは遺伝子によって限界値が設定されているので、努力すればするほどに伸びるという訳でもない。


才能を有する人は、己の努力のみで成功したと思い込んでいるケースは多いが、実際問題、物事は才能ありきである。


体力と知力という才能があるから、努力による成果が得られる。成果が積み重ねられるからこそ成功できるのである。

皆が欲しがる物以外にも価値がある

こんな事を書いてしまうと、才能がない人間はもうどうしようもなく幸せになれないではないか。そう思ってしまう事もある。

とは言っても、世間を見渡せば何故か不思議な事に馬鹿でも大成している人がいるではないか。

馬鹿で失敗している奴も、馬鹿で成功している奴もいるのである。まぁ割合で言えば、確かに馬鹿よりかは賢い人間の方が成功している事が多いのだろうが。

だけれども、ここで言いたい事は馬鹿でも成功している奴はいるという事である。そして天才でもあんまり楽しくない人生を歩んでいる人もいるのである。


つまりは、人間の馬鹿は治療するのが難しいし、知能の限界も遺伝子によって決められているので伸びしろにもあんまり期待できない。でもそれでも他の要素で成功できる可能性はあるのである。そしてその中には努力で獲得できる物も存在する。


馬鹿らしさを売って他人を喜ばせている人間だっているし、色々な分野を広く浅く学習して即座に儲かる商売に手を付けられる人もいし、才能がある人間を見極め気に入られる事で幸福を得ている人間もいる。


誰もが欲しがるわかりやすい魅力としての「知力」「体力」以外の要素にも目を向けるのが、現実的な成功方法ではないだろうか。

人間には限界があるし、無理な物は無理なのである。

100万回叩いても壊れない壁を100万回叩いて力尽きるよりも、その壁を壊さないで活用する方法や、その壁以外に目を向ける事を考えた方が堅実ではないだろうか。