イロトカタ

純然たるイロトカタです

フシギバナの「はっぱカッター」って、あれは人間で例えるならば、毛髪を飛ばしているという認識なのかな?

擬人化する人

毛髪を飛ばして攻撃する系の代表キャラクターと言ったら「ゲゲゲの鬼太郎」だろうか。あの人は毛髪を針のように堅くして飛ばす事によって相手にダメージを与える技を持っている。まさに妖怪である。彼の得意技であり、頻繁に使用されるシーンを見た記憶があるが、彼はハゲではない。


話は逸れるが、人間は他の生き物の感情を理解しようとする時に、そこに「人間らしさ」を加味した上で判断しようとする。よく志村動物園的な番組にチャンネルを回すならば、可愛らしい犬が肉を頬張る姿に対して「ボク!このお肉が大好きなんだワン!もっと頂戴ワン!」とか言った「人間の声優の声」が当てられて、まさに犬が喋っているかのように表現をする。

「人間の目から見て可愛らしい動物」が「人間の目から見て嬉しそうな動作」をしているならば、「可愛らしい言葉で嬉しがっているに違いない」と判断するのである。人は見た目が9割と言われるが、動物は見た目が全てである。


人は何かに対して思考や感情を理解しようとする時には「人間を基準として」思考する事しかできない、という事なのだろう。人間というよりかは、自分を中心としてしか考えられないのだろう。


美男美女の性格が悪いと考える人は「美男美女について嫌な経験がある人」もしくは「もしも自分が美男美女であれば、悪い事をする人」であるのだと、私は思う。

何であれ、人が何かを考える時は、その人の自身の「脳みそに存在する、価値観や好みや経験」が大きく影響するのである。

だからこそ、社会的正義を強く信じる人は、悪事を働く人に対して「本当はあの人だって、悪い事がしたい訳じゃない!ただ何らかの理由があって仕方なくやっているだけだ!あの人だってその事情が解決すれば善の心が戻るはずだ!」みたいな見当違いな事を発言する訳である。

フシギバナを人間男性に例えると

逸れた話を戻す。正義でも悪事でも性善説の話でもない。フシギバナは「はっぱカッター」を放つ事によってハゲないのか?という話である。


私は人間なので、人間になぞらえてしかフシギバナを思考する事はできない。なので人間になぞらえた思考をフシギバナに当てはめるのならば、頭部に乗っかっている花は、人間で言う所の「毛髪」に当たるのだと考える。


タネから草、草から花。ようやく伸ばしてオシャレに仕上げた髪の毛をカッターにして飛ばせと主人は命令する訳である。


これを人間の男性に例えるならば、学生の頃からファッション雑誌を読み込み、オシャレに気を遣い、ワックスや染色にも気を遣い授業中も人目を気にして仕切りに前髪をいじる糞ウザい学生である訳だ。

特に詳しくない癖に外国人アーティストの曲を友達と話している途中に急に口ずさみ始めたりするのである。無論、その時にも前髪をいじるのを欠かさない。

意味も知らない癖にカッコイイ横文字を頻繁に使うし、どうでもいい場面で急に熱くなって名言っぽい事を言う。好きな女子が近くにいると急に声が大きくなり、友達をいじり始める。どうやら男の強さを表現したいようだ。


そんな調子こいた男の子も、もう20歳。成人の日。

袴を自己流に着こなすなんて言う若い日の痛い妄想を恥ずかしいと思いつつも、しっかりと作法を身に着け旧知の仲間に会いに行く。

若かりし頃の思い出に浸りながら、将来の夢へと思いを馳せる。力強く人生を歩んで行こうと決意する。


そこで成人式会場での偉い人の挨拶。「おい、そこの男。てめーの毛髪を武器に使うから全部よこせ」

はっぱカッターを放つという意味

その男の人の名前を私から語る事はできない。せめてニックネームくらいなものだろう。なぜポケモンの世界で「種族名とニックネーム」しかその個体を呼称する名前が存在しないのか、という理由が今の話で理解できたであろう。


フシギバナに「はっぱカッター」を命令するという事はそういう事なのである。その個体の尊厳を奪うのである。


日に日に禿げる訳ではない。敵の眼前にて突如としてハゲるのである。

よくよく考えて見て欲しい。たかが「葉っぱ」がカッターとして武器になり得るだろうか?いや、ならない。

最終的に「カッターという武器」として成立しているのは、「急に主人から頭髪を奪われた心の傷」なのである。それを敵が忠実に感じとるからこそ「はっぱカッター」は成立して、相手にダメージを与える。だが一番の被害者はフシギバナだ。


酷い話である。フシギバナはフシギダネの頃から頑張って毛髪を磨き上げてきたのである。そしてフシギバナという成熟した存在になった瞬間これである。

過剰な共感能力

世間では共感能力や思いやりは人間にとっての美徳とされている。

だが、今の話を踏まえるのならば、何事も過ぎればロクな事にならない、という事である。

「人間らしさ」を全てのものに適用してしまうと、結局何もできなくなってしまうのである。


「床さんが踏まれると可哀想だから、あたしもう歩かない!」とか「尻を押し付けられる椅子の気持ちを考えてみろ!」とかほざき出したら、もう人はアカン人である。

フシギバナについても、そこまで思考する必要はない。ゲームのキャラクターなのだから、「フシギバナの葉っぱは、一日で全部生え変わるんだぞ!」みたいなナレーションを心の中でこっそり入れてあげれば万事解決である。


共感も思いやりも大切だけれども、何に対してそれを使用するのか?という事の方がもっと大切だ。


フシギバナのハゲを気にするよりも、もっと身近に気遣うべき相手がいるかもしれない。


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