イロトカタ

純然たるイロトカタです

藤木源之助がコミュ障だからこそ、シグルイという壮絶な物語が生まれたのだと思う。

もしも藤木のコミュ力が高かったら

藤木源之助がもうちょっと喋り上手だったら、伊良子清玄とあんなに揉めなかったのだろうなぁ、と思う。

なんでせっかく海岸で清玄が「我ら」という言葉を使って虎眼流という家の中で高みを目指していこうとしていたので、藤木は「拙者は生まれながらに武士の子でござる!」とか言っちゃうのかな?そら気持ちとしては虎眼流の一員になった時点で自分は生まれ変わっているのだろうけれども。


でもさ、藤木が「いやいや、俺は元々は身分の低い農民でさ、普通に考えたら絶対にのし上がれないような身分だったのよ。でもよそこに虎眼先生が現れて俺を一丁前の武士にしてくれたんだ!俺は天下一とかはそこまで興味ないけど、俺は先生の虎眼流を守るためなら何でもするぜ!武士の本分はお家を守る事にござるからな!」みたいに自分の境遇をしっかり話せばあんなにこじれないで済んだんじゃないだろうか?


だってさ、伊良子は徳川家康の生まれの身分の低さを話した上で「それでも天下一になれる!」って話をした訳じゃん。ここのポイントって「低い身分でも」という部分にあると思うじゃん。その逸話を聞いた時点で「あれ?伊良子ってば、もしかして下級身分系男子なの?」くらいの慮りはできても良くないだろうか?

藤木らしさと武士らしさ

別に口下手でも無口でも良いんだけども、相手を傷つけない喋りを藤木が持っていれば良かったと思う。まぁそんなんじゃ物語としての方向性がまるで違ってしまうから却下なのだが。そっちの方向だと少年ジャンプ的な感じになりそう。「外向的で常に高い能力と地位を求める伊良子」と「内向的で安定と平和を愛する藤木」のコンビ的な。で最終局面で伊良子がラスボスにやられて藤木がブチ切れて隠された能力を覚醒させて勝利みたいな、そんな展開になってしまいそう。それではシグルイではないからやっぱり却下である。


藤木がもうちょっと器用だったらもう少し平和で楽しい物語になったような気もするが、シグルイで書きたいと思われるテーマを書くためには、やはり藤木の無口さと不器用さが鍵になっているのだろう。たぶん藤木が存在しない世界だったら、あんなに話はこじれてはいないだろう。藤木はあんまり主人公らしいキャラクターではないと感じる事は多かったけれども、それでも「シグルイ」という作品を完成させるためには藤木源之助というキャラクターが絶対不可欠である事は確かだろう。


もっと言うならば「藤木源之助のコミュ障さ」が大切だったのだろう。まぁコミュ障というのは現代人視点からの穿った見方であり、その時代からするならば「最も武士らしい存在」というのが正しいのかもしれない。

シグルイの魅力は欠落から生まれる

シグルイという物語の魅力を一言で表現する事は私にはできないけれども、それでもその魅力の一部を言い表すならば「みんな何かが決定的に欠けている」所にあるのだと思う。

「欠けている」というのは肉体的な話ではなく、精神面による所が大きい。それが顕著なのは藤木であり、次点は三重だろうか。ちなみに最下位は伊良子だと私は考える。普通に優等生過ぎる感が否めない。ちびまる子ちゃんで言う所の「大野くんと杉山くん」なのである。


みんな何かが決定的に欠けているけど、その欠けている自分の体と心を持って全力を尽くすのである。最終的に幸せになった人が居たとは思えないけれども、それでも皆懸命に生きたが故に壮絶な物語が生まれたのである。


みんなが有能で愛に溢れる世界であるならば壮絶な物語は生まれないだろう。だって地獄絵図になる前に誰かが率先して回避してしまうから何事もなく物語は始まらない。


みんな何かが欠けていて、その欠落に自分では気が付けないままに野心を達成するために手段を選ばないからこそ、人間同士のドロドロした壮大な物語が出来上がるのだろう。


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