イロトカタ

純然たるイロトカタです

イロトカタ 201807021923



宅配ピザが食べたい。新鮮さが美味に繋がるのである。あとトマトのピザが美味しかった。

予想通りが退屈を生むのである

宅配ピザが食べたい。何故だろうか?

家から出たくないからだろうか?まぁ、それもある。今日はダルいのである。家から出ないで食事を得るためには常日頃から食料を貯蔵しておくか、誰かに家まで届けてもらう必要がある。

家には食料がある。ちゃんと貯蔵してある。自分が好きな食べ物がちゃんと格納されている。私は棚の中を眺めて自分の貯蓄癖に対して誇りを感じる。食べ物については、「一定量はすぐに手に取れる場所に置いておくべきだ」と言うのが私の信条である。


だが不満である。何か物足りないのである。確かにそこには私の好物が散見されるのであるが、それらは「私がいつも食べている好物」なのである。そう私はその好物群に対して幾分かの「飽き」を感じてしまっている。


結末が見えているのである。絶対に美味しいだろうという結末が。そしてその美味しさが「どんな美味しさか」という事まで私の舌と嗅覚は知り尽くしている。だから美味しいのだろう。それは確かだ。でも予想通りの美味しさだ。そんな展開では満足できない。

「 安価と退屈」、「新鮮と高価」

よって私は宅配ピザを所望する次第である。最近の何処で何を食べても大概は美味である。美食研究が進んだ成果としてあらゆる分野の食事のレベルが向上している。その流れを受けてピザも美味しくなっているに違いない。コンビニの冷凍食品だって至極の美味しさなのである。ならば宅配ピザだって天にも昇る美味を私に授けてくれると思うのである。


私は暫く宅配ピザを食べていない。何故なら高いから。あれは高い。普通に「近くのスーパーで美味しい弁当を複数購入した方が贅沢じゃない?あとハーゲンダッツとか買って!」みたいな気分になるのである。価格の高さが私を宅配ピザから遠ざけていた要因である事は間違いがない。


しかしながら、外に出ないで暖かい食事にありつける。さらには「暫く食べていない美味を食す幸福」というのがある。やはり宅配ピザは昔から特別なご馳走なのである。


つまり今の私は揺れているのである。現実と理想の狭間で。「美味安価退屈」か「美味高価新鮮」のどちらかで揺れているのである。やはり「新しさ」という意味での鮮度は非常に魅力的であること実感する。

限りある生命

人生は選択肢の連続だと言われるけれども、このような状況でも人は悩むのである。人は悩む原因は、元を辿れば「金か時間」に到着するのである。金に限りがあるから購入する物を悩むのであり、時間に限りがあるから手に入れる才能や環境に悩むのである。


億万長者はこのような事態に悩まないのである。即刻ピザを注文しているに違いない。

人類が無限の生命を持っているのならば、相談も苦悩も禍根もないだろう。


逆に考えるのならば億万長者のように考えて、無限に生きるように振る舞えば大方の苦悩というのは消し飛ぶのではないだろうか?そういう意味では根拠のない何かを信じ込む事で人間は軽やかに生きられる事もあるのだなぁと染み染みと思う。このような問題は科学の力ではまだまだ解決するのは無理だろう。しかし少し自分の脳みそを騙してやる事でこれらの問題を軽減することは往々にしてある事だ。まぁ、あんまりその辺を突っ込み過ぎるとあらぬ方向へと飛んでしまいそうなので、此処ら辺で辞めることにする。



何であれ、「億万長者でなくては宅配ピザを注文してはならぬ」という事もないし、私は限りある生命を存分に楽しみたいので、今日は宅配ピザを注文する事にしよう。さて、どのピザにしようか。

後日談の大切さ

後日談的に書く。何を食べたのかを書く。というかブログっていうのは元を辿るとウェブに自分の日記を残せる!っていう非常に画期的なサービスであったはずだ。

最近は、広告を如何に踏ませて金銭を儲けるか?という所にパワーが集まっているけれども、やはり日記というツールは魅力的であると思う。自分が体験した事や思考した事をちゃんと振り返る事ができるというのは素晴らしいのである。


という訳でピザを注文した日から、暫く時間が経過しているけれども書く。きっとそれが何か大事な気がするから。


イタリアーナというピザを注文した。これが非常に美味しかった。トマトが載っているのである。このピザはチーズとトマトがメインという非常に一般的なピザであるに違いない。

新商品や日本独自であろう奇抜なメニューを注文する事も思案したけれども、「やっぱり久しぶりに食すならシンプルイズベストだよね!」という私の発想は大正解だった。たまらなく美味しかった。今思い出してまた食べたいと思うくらいに美味しかった。


私はトマトが大好物だと言う程ではないけれども、それなりに好きな方だった。そしてイタリアーナを食べる事によってトマトの好き度が上がった。まだ大好物だと言うほどまでにはレベルアップしていないけれども、その一歩手前くらいまでには好きになった。もういよいよレギュラー入りも近いレベルである。

トマトという食材は「他の食品の魅力を引き立てる効果」があるのではないだろうか?カップラーメンのチリトマトヌードルにしたってそうである、あれは美味だ。


メインとしての魅力をあまりトマトに感じなかったから、そこまでの好きを獲得する事は今迄なかったが、成程、そういう輝き方もあるのかと私は感心する次第である。

トマトに様々な生き様がある事を背中で語られた気分である。目立ちはしないが至る所に出現してはあらゆる食品の力添えをそっと行なうトマト。長く愛され食べられるのも当然である事を私は再認識した。