イロトカタ

純然たるイロトカタです



友達のデメリットは自己の定義が固定化される事にある。


友情の素晴らしいところ

辛い時、困った時、心が傷ついてグレてしまいそうになる時。そんな時、友達は優しく手を差し伸べてくれる。

「いつものお前らしくないじゃないか!元気出せよ!」と言った風なメッセージを人それぞれの方法で伝えて、私をいつもの私に戻してくれる存在だと言える。

友達の素晴らしさを体感する時は色々あるだろうが、心の底から友情に感謝する時というのは、そういう時ではないだろうか?人は多くの場合、自分が辛い状況にいる時に助けてくれる人間に対して価値を感じる。


「自分は一人じゃない!挫けても支えてくれる仲間がいる!」という気持ちが、人間を鼓舞する事はよくある事だ。人間は基本的に集団で生きて繁栄してきたのだから、その考えはほとんど間違っていないし、簡単に友情を蔑ろにするのは正しい行いではないと思う。

友情の本質的な特徴とは

そう、友達は良いものなのだ。基本的には。

みんなで協力し合う事で大きな物事を成し遂げられるし、いざという時に助け合えるから大きなリスクを回避できるのである。だが、何にでもデメリットはある。それは友達という存在だってそうだ。


じゃあ、何が問題なのかというと、それは「固定化」であると考える。これはメリットにもデメリットにもなるが、多くの場合メリットにしか着目されていないので、悪い点についても考えておく。


前述したような「辛い時に助けてくれる」という友達の機能は、有り体に言うならば「いつものお前の状態に戻したい欲」なのである。人はいつも通りではない状況に危険と不安を感じる。いつも通りこそが安全だと本能的に認識する機能がある。


よって近くに「いつもと違う友達がいる」という事を察知すると、「いつもと同じ状態に戻そう!」という欲求が働き、その結果として「助ける」という行為が発生するのである。ドライな表現になってしまうけれども、普遍的に存在する友情というものを定義するならば、そうなるであろう。


つまりは「身近に親しい友人が複数いる」ということは、自分をいつもの状態に戻そうとする人間が複数いるという事である。親しければ、複数になるほどに、その力は強靭なものになる。


結果として何が起こるのか?

それは、「自分が成長、向上、高みに登ろうとする時に、周囲から邪魔される」という事態を招く、という事である。

酸いも甘いも

これを一概に悪いとは言えない。「いつも通りを求める」というのは人間が自己の生命を守るための大切な手段であるし、その「いつも通りを求める」という機能によって、辛い時や悲しい時に助けられた経験だってあるのだろうから。(なかったら即刻そんな関係は切りましょう)


美味しい部分だけ貰って、辛い部分に当たった時だけ喚き散らして被害者的に振る舞うのは阿呆である。友情とは「自分を支えてくれる存在」なのである。悪い方向へ向かう時には通常の状態に戻そうとするし、良い方向に向かう時にも通常の状態に戻そうとする。そういうものなのである。


人間には酸いも甘いも含まれているのである。その辺を自分で上手に峻別できないのに、いざ悪い部分に当たった時だけ「友情なんて糞だ!」なんて憤るのは自己の間抜けを主張しているような物である。


辛い時に助け合えるのが友達だが、高みに登ろうとする時に足を引っ張り合うのも友達だ。

友情は素晴らしいものなのだろうが、それを過信してはならない。