イロトカタ

純然たるイロトカタです

「呼吸理論」で仕事や勉強の苦痛を吹きとばせ!

パンがないなら断食すればいいじゃない

休日という概念を失くしたら、仕事が苦痛じゃなくなるのかもしれない。

そんな妄想をしてみた。あまりにも酷い妄想である。なんだろう、「右手が痛いなら全身を痛めつければ、右手の痛みも気にならなくなるだろう!」って言ってるくらいの横暴さである。

仕事は苦痛であるって言う前提が世界的に共通ではないにしても、仕事が嫌な人からすればとんでもない話なのだろう。


しかしながら、「そうである事が普通」という状態にまで精神状態を持っていけると人間ってのは案外耐える事ができる気がするのだ。

月曜日の朝が苦痛な理由は、休日があるからだ

何でも苦痛の絶頂ポイントは「最初の部分」にあるとは思わないだろうか?例えば、月曜日の朝である。悲しみで悶える日曜日の夜と、絶望の色を瞳に浮かべる月曜日のコンボというのは、そこに切り替わりの部分が存在するからであって、月曜日の朝が「仕事の最初の部分」に該当してしまうから苦痛であると思うのである。


ならば、最初がなければいい。ずっと仕事をしていれば、きっと月曜日の朝が以前よりかは大丈夫になるんじゃないだろうか?


まぁ、暴力的な思考である。しかしながら、あながちピントがずれてるとも思えないのである。健康な人間であれば、誰だって呼吸をする事に困難は感じないはずである。四六時中行っていても平気なのである。それを嫌だと思う事もないだろう。

「あぁ、明日は学校もしくは仕事に行きたくないなぁ」なんて思う事はあっても、「あぁ、明日は呼吸したくないなぁ」なんて思う事はないだろう。

そりゃ無論、呼吸をしなければ人間は死んでしまうから、どうしたって続けるように体の仕組みができているんだけれども、そんな事を言ったら金がなければ人は生きていけないのだから仕事だって続けるように体の仕組みができていても、別におかしい話ではないじゃないか。

実際にそれ、やれんの?

つまりは、呼吸を苦痛だと思わない理由は、人間の体にとって必要だからではなく「常に行い続けているから苦痛ではない」という理論が成り立ってもいいんじゃないだろうか?

その「呼吸理論」を仕事に応用して、つまりは仕事を休む事なく続ける事により、仕事の苦痛を逆に消滅させてしまおうという目論見は、どうだろうか?いいんじゃないだろうか?


と一通り考えた所で、ブラック企業も裸足で逃げ出す程のトンデモ理論が完成されてしまった次第である。あまりにも馬鹿馬鹿しいと思うのであるが、やっぱり冷静になって落ち着いた今でも「それなりにイケるんじゃないだろうか?この理論」なんて思っていたりもする。


「じゃあ、テメーが実践すんのかぁ?ボケェええぇぇ」と言われたら、私はそいつを許さない。「糞がボケぇぇ、おんどりゃあ」の応酬で、世界はもうスゴイ事態を招くこと受け合いである。


「脳内で浮かべる理論」と「それを本当に実践する事」には物凄い隔たりがあるんだよ、ってのが私が私に言い聞かせたい真実なのだろう。


まぁでも自分自身にその理論を課す分なら、それなりに得るものや学ぶものはあるかもしれない。「実際できませんでした」っていう経験も貴重な財産であるのだから。