イロトカタ

純然たるイロトカタです



否定に対処するテクニックこそが世間を生きる知恵である


環境に応じた有利さを獲得する行為

成長と言うのは「ある目的に対して最適化していく事」を指す。私はそう思っている。

要は全方向的な改善という物はこの世に存在しなくて、何もかもが一長一短で構成されているのである。

勉強ばっかりやってればヒョロヒョロのガリガリになって体は弱体化するし、体ばっかり鍛えていると脳みそが疎かになる。

行動力が高い人は怒りっぽいし短絡である。不安を感じやすい人は慎重に確実に物事を進めていく事ができる。

実際問題、上記の特徴が本当に表裏一体である事を証明する手立てもなければ、する気もないけれど、それでもやはり全てにおいて万能な何かは存在しないのである。


そんな中で、人はある目的に向かって「成長」していく。成長という言葉はポジティブな印象を獲得しているから、成長さえすれば良いことばかりみたいな気持ちになってしまうけれども、それは実のところ「ある特定の状況において、有利な性質を獲得していく行為」に他ならない。環境が変われば、今迄の努力が水泡に帰する事も往々にしてのあるのだ。


まぁ、そんな事を言った所、人は日銭を稼いだり退屈をしのいだりするために、否が応でも成長を続ける生き物なので損得を纏めて飲み込む気概がなければこの世を生きるのはままならないだろう。

否定こそが成長である

という訳で、人はなんやかんやで成長するのである。そして成長とは「その状況に有利に働くような変化する」ことであり、全ての状況に対して万能な性質は存在しないという事まで述べた。


この事実が何をもたらすかというと、「成長は自己否定を行なう事によって成される」という事である。「その環境において」自分の不利な部分を減少させて、「その環境において」有利な部分を増加させる事が成長である。


そして成長の余地があるという事は、「まだ自己を否定できる余地がある」という事である。

例えば陸上選手であれば、自己のフォームを否定して、自己の筋肉を否定して、過去の自分を否定するのである。そうやって、ある状況についての理想の自己を錬成していく行為が成長だ。

成長は精神的負担が大きい

で、こういう行為を続けていくと、確かに成長できるんだけど、それなりに精神を病むんだよね。という話だ。

そらまぁ、そうだろう。自己否定しかしてないんだから。成長する度にいいタイミングで「周囲からの称賛」や「成果の獲得」なんてイベントが訪れてくれれば安定を保てるのだろうが、そんなに都合の良い事はそうそうない。


大概の場合は、大きな成果を獲得できるまで成長した時点で、「周囲からの称賛」や「成果の獲得」が一気に押し寄せる。ある地点までは少ない報酬しかないのに、その地点を超えると爆発的にその2つが押し寄せるのである。アスリートなんかが良い例だろう。


そう考えると、成長して成功するためには「ある状況に最適化できるだけの才能」が必要なだけでなく、「成長による精神負担をコントロールする才能」も重要になってくるのである。


すごい天才だけど、精神が弱すぎてちょっと馬鹿にされただけで自殺しちゃったら、その人は成功できないのである。そして世間の凡才は、天才に対して寛容さを持ち合わせてはいない。むしろ今のうちに芽を摘んでおこうと考える不届き者までもが存在するだろう。

精神の強さは才能の基本

毎日10時間程度、一つの分野について傾倒すれば、例え凡才であれども一角の人間になれる器はあるはずなのだ。そして成功者達は「ただやればいいだけなのに!」と凡人共を批判するけれども、「ただやるだけ」という事の精神的負担はとても大きいのである。


成功者達を眺めれば分かるだろうが、大概の者達は図太い神経を有している。そうでないと膨大な「ただやるだけ」という強烈な自己否定に耐えきれないからだ。


という訳で、「三日坊主で終わってしまう!」とか「最近、やる気が出ない」というのは単純に自己の精神がケアされていない事による気力の低下の可能性もあるので、図太い神経を獲得するか、自己の精神力回復の手段を身に着けておく事が必要だと思う。それがあらゆる世間を生き抜いていくための基本的な才能である事は確かだろう。