イロトカタ

純然たるイロトカタです

イロトカタ 201807021923



2週間記事を書かない事で気が付いた「文章依存」について

不思議とブログを書いていない

もう2週間近く記事を書いていない。

いや書いていない訳じゃない。書いてはいる。だが、何故か不思議な事に下書き状態で終了してしまうのである。不思議な事に「見出し」とか「サムネ画像」とか「投稿ボタンを押す」といったエネルギーまで発揮する事ができないのである。

どうしたものだろうか、意味がわからない。これが倦怠期という奴だろうか、それとも燃え尽き症候群という奴だろう。別に燃え尽きる程の頑張った記憶はないけれども、これほどの気力低下を鑑みると私は陰ながらブログに心血を注いでいたのかもしれない。


私は書きたいように書くをモットーにしている気がするから、別に記事を書くまでの期間が長くなった所で全く問題はない。テキトーである事に自分自身で問題を感じていないから、ちゃんちゃら気にする事はないのだ。ちゃんちゃら。

ブログを書かないと訪れる「そわそわ感」

だが、ブログをしばらく書かない事も不思議なのだが、それと同時に「どうしてお前はブログを書かないんだ!書けよ!」みたいなもう一人の私的な何かが毎日こっそり私につぶやき続けているような錯覚があるのだ。何?お前?ガーディアンスピリットなの?それともスタンド?って感じの今日この頃如何お過ごしでしょうか。どうもイロトカタです。

ガーディアンスピリットにしてはロクな助言を授けてはくれないし、スタンドだとしても大した能力ではない。「なんかやたらブログ書かないといけない気分になってソワソワする」という能力では第何部であろうとも生き残る事はできないだろう。

よって、霊的な何か説は私的には却下である。という事なら、どうして私は「この中途半端な気持ち」を延々と抱かなければいけないのだろうか?いっその事なら「書きたくて仕方がない!」か「まるで書きたくない!」のどっちかにして欲しい限りである。エネルギーは使用するのに、一歩も前に進めない状態というのを「無駄な行動」と人は呼ぶのである。よってこの気持は無駄だ。


こんな感情は言ってみればどこにだって誰にだってあるのだろう。「勉強しなきゃ!でも勉強したくない!」みたいな。義務と意志が真逆を向いているからそこで時間とエネルギーを無駄にしてしまう状態。


つっても私の場合のブログは義務ではない。権利だ。にも関わらず「やらなきゃ!な気分」になるって事は、もうこれは依存の一種じゃないのかと勘ぐる次第である。


ポジティブに表現するならば「習慣」と言うのだろうが、何でもかんでも習慣というボックスに物事を詰め込んではいけない。その行動についての是非の判定ができなくなるからだ。とりあえずその箱に放り込むのは良いけれども、後々には「いるもの、いらないものボックス」に突っ込む作業をしなければならない。


「いるもの」は良い習慣であり、いらないものは「依存による悪癖」である。


どうやら、私にとってブログは習慣と呼べるものになっているようだ。そして今みたいな精神状態ってのは、丁度良い契機になり得るのではないだろうか?そう、つまりは「私にとってブログは良い習慣なのか?悪い依存なのか?」という事を。

私が思うブログの良いところ

一般的に考えて「日々自分の思った事を文章にする」という事は悪い事だとは言われないだろう。

「毎日、日記を付けています!」と小学生が言うならば、きっと先生は「偉いねぇ!すごいぞ!」みたいなまるで具体性を帯びていない言葉でその子を褒める事だろう。

私個人の視点からみても、

  • 自分の感情を言葉にして整理しておく
  • 精神の安定効果も実感している
  • 文章を書く速度が上がる
  • 多少は脳みそが回転するようになった気がする

というメリットが考えられるから、そうそう悪いものだとは思えない。

書きたい気持ちから始めたブログだから、別に明確で効率的なメリットを期待している訳ではない。だがそれでもこれだけの効果が実績として存在する事は無視できないだろう。

「日記を付けるのは良いことだぞ!」という大人や先生達の助言も、さほど馬鹿にできる物ではないという事かもしれない。

私が思うブログの悪いところ

じゃあ、逆にブログのデメリットはなんだ?という事を考えるならば、

  • 考え過ぎてしまう
  • 時間がなくなる
  • 悪い感情を残してしまう可能性がある

という事が挙げられるだろう。

「一々細かく考えなくても良い事をわざわざ時間と労力を使って延々と思考して思い悩む人」がいる。物凄く無駄な行為である訳だが、気にしなければ解決される問題にいつまでも足を引っ張られている人は阿呆である。私は感情を吐き出せば、「あれ?一年前の私はこんな阿呆みたいな事で悩んでいたのか!!阿呆!」みたいな気分で、書けばイヤな事はスッキリ忘れられる性格なので問題はないが。

時間がなくなる、というのは確かにそうだろう。それは実感がある。私自身はそれなりに素早く記事を書いているつもりなのだが、それでも30分くらいは消費してしまうのである。一日の30分はそこそこ大きい。何かを行なうって事は必ず時間を消費するのだから仕方ないけれども、やはりその辺はしっかり認識しておくべきだろう。

そして最後に悪い感情を残す可能性がある。という問題である。
私は記事で日々の愚痴や嫌だった事を記載する事があるけれども、わざわざ文章として残さなければ「そもそも存在しなかった事」として記憶から完全に忘却させる事ができたのではないだろうか?という問題である。

過去の嫌な思い出も、脳みそから完全に消去されていれば、言ってしまえば本人からすれば存在しなかった事と同様であるのだ。それをわざわざ記事にして残すというのは、過去の傷をさらに傷つける要因になるかもしれない。それは確かにリスクだ。

しかしながら、その過去の話をしっかりと記憶しておく事で、未来に役立つ場合もある。必ずしもそれは良し悪しを断定できないのだ。ただ、少なくてもそういう可能性を秘めている事は確かだろう。せめてその傷が将来の自分を幸福にすれば良いのだが。

文章を書く事に依存している

という訳で、私的に思いつくままに私がブログによって得ている事、損失している事を書く連ねた次第である。

そんなこんなで私にとってのブログは「良い物」なのだろうか?それとも「悪い物」なのだろう?という話である。

今ここで考える分には良い物だと判定したい所である。その理由はやっぱりなんだかんだでブログを書きたい感情の力が大きいからだ。じゃあ、さっきまでのメリットデメリットって何の意味があったの?って話である。これこそ依存であると我ながら染み染み思う。

何かに依存している人は、その対象物に対して悪い評価を下す事ができない。または悪い評価を下す事ができたとしても、それを上回るメリットがあると判断し、結局はその依存対象から離れる事ができないらしい。


そういう意味では最終的なジャッジを感情に委ねる私はブログに依存しているのだろう。だが、人は必ず何かに依存して生活を行っている。仕事にせよ上司にせよ家族にせよお金にせよ趣味にせよ信条にせよ生きがいにせよ孫にせよ。人は何かに希望を見出しそこに依存するから生命活動を続けるのである。


という訳なので、明確で大きな悪影響は確認されていない事は確かなので、やはりブログは書こうと思う。

別にこんな延々と考えなくてもブログは書くのだろうが、やはりこうやって考えるのが好きだからブログを書くのだろう。