イロトカタ

純然たるイロトカタです

結果と過程と遠回りについて

結果と過程のどっちが大切なの?

「結果さえ良ければいい」

そう思う事は多々ある。というか、それは全くもって正しいと思う。

過程にこだわり過ぎると、「己と戦う」とか「これだけ頑張った軌跡こそが、僕たちの勝利の証だ!」とか言って現実から逃げる事になってしまい、結果を気にしなくなってしまう。その結果、さらに結果を出す事が難しくなる。

人生の終点近くになって、そういう過程重視に嵌まるのならば別に良いのだが、まだ人生も始まったばかりの人間が最初から勝負から逃げるのは如何なものだろうか。


とは言え、人生は短距離走ではない。場面によっては短距離走的な能力を問われる事もあるだろうが、人生の一場面だけが人生の全てを決定する訳ではない。長期的な視点で物事を考えなくてはならない。

そんな時に過程を重視するという発想が大切になってくる。

期間ごとに考える結果

過程は結果であり。結果は過程であるのである。

「過程、結果」というのは、観察範囲によって決定される。

1年掛けて行われるプロジェクトならば、今日の一日は過程である。

10年掛けて行われるプロジェクトならば、今年一年は過程である。

同じ1年だとしても、前者は結果であり、後者は過程である。

目先の1年の結果だけをとりあえず出す事に専念しても、それは10年プロジェクトにおいては甚大な被害をもたらす悪手かもしれない。それにより10年プロジェクトは破綻してしまうかもしれない。

だから、過程も結果も大切にしなければいけない、という話なのである。

無駄な遠回りについて

そう考えるのならば、遠回りも別に悪い事ではないのだ。何故なら10年プロジェクトにとっては、それは素晴らしい過程になり得て良い結果をもたらすかもしれないからだ。

だが正確に言うならば、それは「他者から見た遠回り」であり「本人にとっては別段遠回りとして認識していない」という事実がある場合に肯定される事である。

何も考えずに、意味もなく、当てもなく「こういう遠回りが、いつか何かに引っ掛かるはずさ!」というお気楽な思考はリラックスとして活用する分には問題ないのだが、「成果を出せない事の言い訳」になってしまうと問題になってしまう。結果から逃げる行為になるからだ。


何気ない行動が思わぬ発見を得る場合もあるだろう、しかしながらそんなギャンブルみたいな発想で「何の目的もなく頑張っているフリ」をするのは成功率も低いだろうし、何より本人が虚しいだろう。

壮大なプロジェクトが人生を救う

「じゃあ、結局どうすればいいんだよ!?」

と思われる方もいるだろう。「過程も結果も大切にして、無駄になる逃げ的な行為は避けろ!」と言った所で簡単に実践できるものではない。

ならば何をすれば多少でも現状は変わるのだろうか?それは単純明快であり、「期間ごとの目標とする結果を掲げる」だけで良いのである。

一日の目標、今月の目標、今年の目標、10年間の目標、30年間の目標、一生の目標。

この目標は期間が長い方が優先度を高くするのがコツだ。それが出来れば、自分の人生にとって大切な事を見失わずに済むから、本質を見ていない無駄な行動を取る事がなくなる。

今現在、一生の目標が決定できないのならば、1年先の目標を定めれば良いのである。それだけでも過程と結果のバランスは整う。


結果と過程のどっちが大切なんだよ?というのは、言うまでもなく結果であるのだが、「優先度の高い目標についての結果」が大切であると私は思うのである。

小さな目標の結果にこだわらず、大きな目標の結果を見据えて行動できれば、遠回りに見えても堂々と歩めるはずである。


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