イロトカタ

純然たるイロトカタです

急な無茶振りはうざい。だが商売のチャンスはそこにある。

急な無茶振りはうざい

急な無茶振りはうざいと思った。

以上。

砂漠の水と物の価値

では、話は進まない。進めたいので、この件から何かを考えてみる。

考えるのならば、「無茶振りに対応できる人間ほど、価値が高い」という事である。その逆に、無茶振りに対応できない人間ほど価値が低いのではないか、と考える。

価値とは何だろうか?価値とは「欲しい人に欲しい時に欲しいだけ」を提供できる能力だと言う事もできるだろう。つまりは対象とタイミングと分量の問題を上手に制御できる人間は価値を生み出す事ができる。

お腹がいっぱいの時に、「店内飲食に限り牛丼が100円」で販売されていても、食べようとする人間はいないだろう。何故ならタイミングが悪いからだ。しかしながら、逆に餓死しそうなレベルで腹が減っていたのならば「1万円での普通の牛丼」であっても食べるだろう。砂漠の水に代表されるように、そういう具合な物が価値である。


物というのは、そこにあるだけでは価値を生まないというのが商売の難しさであるのあろう。「早い時期に獲得できる」という価値を知っている人間は転売などで金銭を儲ける。

スピードと柔軟性

そういう事を鑑みた上で「無茶振り」というのは「急に今、私にとって必要になった!」という事態である。この場合、提出期間が極々わずかである場合がほとんどだ。だからこそ無茶なのである。

そういう無茶振りに高速で対応できるというのは非常に大きな価値であろう。素人にはまず対応できないし機械化するには時間と費用が掛かり過ぎるからである。今の時代はなんでもググれば知識なんて手に入るんだから、勉強する意味ないじゃん!という意見も世の中にはあるらしいが、即座に正しい情報を欲しがっている人に提供できることこそが価値なのである。だから勉強の意味はあると私は思う。


という訳で、無茶振りは非常にストレスフルなのだが、無茶振りがあるからこそ人間に価値が誕生しているのだとすれば、そんなに無下にする事もできないのだろう。


つっても、あまりにも無計画な人間や阿呆な人間の無茶振りに真摯に回答する必要はないのだろうが。その場合に対する真摯さと優しさは世界を悪い方向へと進めてしまうからだ。あくまでも「価値のある人間」にとっての「価値のある人間」になる事こそが「価値」なのである。


で、そういう無茶振りに対応するためには「日頃の知識収集」と「価値ある人間が何を欲しがっているのかを考える」ことが大切である。いらない知識をベラベラ話し続けるに人間は古今東西どこであろうとも邪魔である。人は欲しい物が欲しいのである。それ以外はいらない。


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