イロトカタ

純然たるイロトカタです

「なんだ、こんなもんか」症候群

期待と落胆

何日も何週間も何ヶ月も楽しみに待っていた事。

例えば、好きなブランドの新商品が発売されるとか、行ったことの無い場所に旅行に行くとか、会ったこともない人に会うとか。そういう楽しみは多くの人が所有して、それを生きがいにして生きている人もいるかと思う。

毎日の生活の隙間に楽しみについて妄想したり、休日にしきりに決行日の計画を立ててみたり、寝る前にしきりに妄想したり。その日が来るまで、その日の事について頭が占拠される事は誰にだって一度くらいは経験があるのではないかと思う。例えるならば、修学旅行や遠足の前の日のような気分である。

楽しみにすればするほどに、不思議とその日がやって来る速度は遅くなってくる。時計の針をただ見つめていても、精神的には一向に時間が経過しないのと同様に楽しみがやって来る日もカメの速度でやって来る。とは言えども、見方を変えれば待つ時間の喜びも溢れてくるものであるから、その辺を楽しむ人もチラホラいるようだ。


そして待ちに待った「その日」の到来である。前日なんかは、きっと胸から期待の湧き出て止まらない程の具合であるはずだ。実際に体験するその日の時間の長さよりも、その日を想像している時間の方が何倍も多かった事に気が付くだろう。
ついには「その日」をその人は体験する事になる。時間の流れを遅く感じても、それでも時間が止まる事はないのだから、その日は必ずやって来る。

実際に生の肉体と精神とその日を体験した時に、その全てが想像を超える出来事であるのならば、何の問題もない。その日を過ぎたる日々であっても、過去の甘い体験を時折思い出して心地よい気分になれば良いだけの話だ。

だがしかし、時として想像とは全く異なる事態に遭遇する事もある。つまりは「その日」が想像していたよりも、ずっと呆気ない体験だった、という事態だ。


確かに想像していた事と似たような出来事を体験しているはずなのに、何故だが自分の胸が沸き立つ事がない。すごい物を見ているのは確かなのだが、興奮することも少ない。冷静に「その日」を観察してしまっている自分が存在するのだ。

すごいのはすごいけれども、熱狂できない。想像の「その日」を著しく裏切っている訳でもないのにである。


これを「なんだ、こんなもんか症候群」と仮に称する。

抽象的なレベルでの慣れ

まぁ、これは俗に言う所の「慣れてしまって、飽きてしまった」という奴である。わざわざ別名を付ける必要もなかったかもしれない。

しかしこの症状の問題は「その出来事を何度も体験している訳でもないのに」という点にあるのである。

その出来事事態は初めて体験する場合もある。にも関わらず「なんだ、こんなもんか」という気持ちが占拠する症状を指したい。

では、その人は何に「慣れてしまって、飽きてしまったのか?」というならば、「素晴らしい物に慣れて、飽きてしまった」のだと思う。「どうせ、すごいんだろうな」というある種の予測と過去の類似体験が、新規の出来事をありふれた光景に変化させてしまうのである。


要は「サーカス」を見たことがない人でも「映画」を見たことがある人はいるだろう。サーカスについては全くの未知であるかと問われれば、確かに未知だと回答するしかないだろう。


しかしながら、「映画」を体験する事によって、「人を引き込む技術」や「人を驚かせる展開」や「人を感動させる終わり方」なんかについては、無意識的に学習されていく。そして「サーカス」を行なう側も、人に見せる事を前提として作品を構成するのは当然の帰結であるから、具体的な内容は全く異なっていても、抽象的な内容で類似している部分が多くなるから、結果として想像以上の興奮が得られないのである。


具体的な内容としては全くの新規である。しかしながら何故か「なんだ、こんなもんか」であり、根本的な原因は「抽象的な情報」において似ている部分が多く、それを自分の言葉で上手に指摘できないからである。と私は「なんだ、こんなもんか症候群」を勝手に定義しておきならば、勝手に症状の原因を推測する。


この症状の裏を返すならば「人は生きれば生きる程に落ち着きを増していく」という話なのだが、幾分かの興奮と感動は日々に散りばめて欲しいと願うのも人の性である。「なんだ、こんなもんか」の連続で人生が流れていくのでは、上手に世渡りがこなせたとしても面白くはないだろう。

「新鮮さ」と「冷静さ」のジレンマ

人は何かを理解したいと思うし、冷静に対処したいと望む。そう望むからこそ、いざという時に最善の対処ができるから生存して行けるのである。

でも、驚きも興奮もない人生を面白くは思わないだろう。その辺がジレンマなのである。

今の時代は安全な状況にいながら、興奮を提供するような娯楽が非常に溢れている。それでも人はそれに慣れてしまい飽きてしまい、次第に興奮も薄れてしまうのだ。それは成長であるが、退屈でもある。


落ち着きつつも、冷静でありながらも、興奮して熱中できる術はないだろうか?やはりそのためには日々新しい何かを探求していくしかないのだろうなぁ、と思う。


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