イロトカタ

純然たるイロトカタです

物語に「教訓」とか「実学的な何か」を一々求めるのは、素晴らしいと思える気持ちを勿体なくしてしまう

物語において大切な物は何か

一組の男女が追いかけっこをする模様を書くだけで小説を一本書き出す人間がいるらしい。

そんな馬鹿な、と私は思ったが売れてる人気な小説は案外そんなものだったりする。一組の男女の追いかけっこの舞台が和風だったり洋風だったり異世界だったりするだけで、「この小説を簡単にまとめて!」と要求されたのならば、「一組の男女が追ったり追われたりして、最終的にはいい感じに落ち着いた」という感想を吐くしか私には術がない。


単純に私の脳みそが単純過ぎる事が原因なのかもしれないが、もしかしたら物語において大切なのは結末でも要約でも何でもない、という事なのではないだろうか?

言葉で簡単に表現できてしまったら芸術とは呼べないだろうし、末尾だけを眺めてその全体が理解できてしまったら、それは物語とは呼べないだろう。


だから、単に男女がもつれ合うだけの小説が乱立しようが、それ自体は何ら問題はないのである。そこに物語があればいいし、さらには芸術的な何かがあれば最高である。結末も要約も物語や芸術においては大した意味を持たないのだ。

物語に教訓なんて求めるな

世には素晴らしい作品がある。それはが本であれ映像であれ、その人にとって素晴らしいと思わせる何かがあるのは確かだ。

だが、具体的に何が素晴らしいのかを明確に言葉で指し示すのは難しいし、一つの作品であれども人によって十人十色な素晴らしさが存在する。さらには、その素晴らしさが実学的である訳はなかったり、教訓めいていたりする訳でもなかったりする。


ただ純粋に素晴らしいと感じる体験ができれば、実際の所それで良いのである。だが、私はきっと一つの物語に教訓めいた物を欲しがっているのだろう。現実において役に立てようとしてしまうのだろう。きっとそれは良くない事だ。


理想的な恋愛を描く映画を「非現実的だ!社会を生きるには不適切な考えだ!」と言って否定するのは間違っているという訳だ。理想は理想で楽しむ事を否定する必要はなく、現実との境目を理解していればそれで良いのである。

というか、そんな事を言っていたらこの世のあらゆるフィクションが否定されるのだから、本当の所、そんな事を言っても仕方がないのにである。

素晴らしいという気持ちを味わう行為

だから、何かの作品を鑑賞する時には「素晴らしい」という感覚を楽しむ事を忘れないで、教訓とか実学とか深い事は考えないで理想は理想で楽しむ回路を持っていると、もう少し気楽に生きられるかもしれない。

「一組の男女が追いかけっこ」して、なんかいい感じになって物語が終わって、私が少し幸せな気分になれれば、それで十分なのだろう。

ちなみに、上記の例の作品は「夜は短し歩けよ乙女」である。男が女を追いかけ、女は男の気持ちに暫く気づかないけれど、最終的には現実から掛け離れた展開で良い感じに終わる物語である。私はこの作品に教訓的な物を見出す事はできなかったが、それでも良い事なのだと思った。

個人的には李白さんが好き。ああいう浮世離れしながらも、世間から愛されている存在って理想的だよね。

あぁ、あと電気ブランは実際にお店に行けば売っているけれど、かなり度数が強く、強すぎる度数が故に舌が痺れる感覚を味わう事になった。味は美味しかったが、作中の二人のように飲み干すのならば私は空想上の生き物になってしまうので、遠慮する事にした。


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