イロトカタ

純然たるイロトカタです

自分の意見を言わずに不満を溜め込む人って嫌われるとは思うけれど、そうした理由は何なんだ

架空の話ばかりする奴は

自分の意見を考えなしに言う人間は迷惑がられて嫌われるのだが、だからと言って極端に逆を行って「自分の意見をまるで言わずに不満を溜め込む人間」ってのもモヤモヤとした気持ちにさせられるから嫌われるのである。


あぁ、面倒くさい。本当に人間関係というのは面倒くさいのである。言ったら「言うな」と文句を言いし、言わなかったら「言え」と文句を言うのである。
「あの時ああ言ってくれれば、こんな事にはならなかったのに!」って言うけど、あの時ああ言ったらきっとお前は「あの時ああ言ったからこんな事になったんだ!」とかほざき始めるのだろう。

つまりは今起こっている現実とは違う、上位互換的な架空のストーリーをでっち上げて相手を批判するという奴だ。まぁこういう奴は本当に心の底から面倒だし得る物は何もないし、何回が関わっていればその性格は露呈するから、さっさと退散するか片付けると良いのだろう。

距離感と自己開示の度合い

そういう面倒な奴は放っておいて、どのくらい周囲に対して自分の意見を言うのか?って事は非常に面倒くさい事であり、相手によってその分量は違う事であるのだが、それでも考えておく事は人間関係をスムーズさせる鍵になるだろう。

自己開示の度合い。どのくらい心を開くか。どのくらい距離を詰めるか。人間関係は色々と複雑であるが、そのバランスを上手に取れる人は社会を快適に渡っていける。


心も開き過ぎてはいけないのだと思う。初対面で恋人同士でもないのに、唇が触れ合うかどうかの距離まで詰めてこられたら誰だって絶対に不快感で溢れる事だろう。その不快感を、心の開き過ぎでも私は感じる。

度を失った自己開示は甘えにも通じる。社会とその人間に自分の全てを受け入れて貰えると考えて発言するのは、赤子が母親に愚図るのと似ている。良い大人がそれを行うと気味が悪いのである。


とは言っても、社会で生きる限りは、組織で協力して何かを作り上げるには、他人とは意志の疎通は大切である。そのためにはある程度の自己開示は必要なのである。何も語らないで何を考えているのかわからない奴とは協力できないし、気味が悪いのである。

その目には見えない人と人との距離感を上手に取れない人間は、人間関係を上手に構築できない。頭でっかちというのか、コミュ障というのか分からないが、私が思う所の面倒くさい奴である。

理想のコミュニケーションとは

私は面倒くさい奴に出会う度に顔を引きつらせる事になるのだが、私が今まで属してきた組織の中では私と似たような感情を抱いてくれる人達が多かったようで、気づけば面倒くさい奴はその組織から自然と離れていった。


離れていった面倒くさい奴はどこに行ったのだろう?そして上手くやっているのだろうか?と思う。私はこの場合、多数側のグループに存在していた事になるから、あたかも自分が絶対に正しい感性を有していると思いがちだが、実際の所はそうとは限らない。

離れていった奴らは「離れていった奴ら同士」で心地の良いコミュニティを築いているかもしれないのだから。

だから、私は私が面倒くさいと思う人達に対して何かを忠告する意味はないのかもしれない。そして、言った所でそんな簡単に治る訳がないのである。良い大人が携えている悪癖は、ほんの一言注意しただけで修正されるような生半可なものではない。そしてそれは年齢を重ねれば重ねるほどに強化され、修正が難しくなる。


誰とでもコミュニケーションを取れるのが最強であるのは言うまでもないが、それは「見たものを全て完璧に記憶できるのが最強!」と主張しているような、叶えようもない空虚な意見なのかもしれない。

何を反省するかを考えよう

まぁ、そんな長すぎる前振りを行った後に言うのも何であるが、不満を溜め込みすぎるのはよろしくないのである。

少なくても、意識して正しい事だと信じて「不満は絶対に口外してはならない」と考えているのならば、それは多少の改善の余地があるように思える。

きっと、不満は絶対に口外しない人には、その人なりのエピソードがあるのだろう。ほんの少し愚痴を漏らしただけなのに、社会人として失格の烙印を押されたとか、甘えるなと叱咤されたとか、そういう話はきっとあるのだろう。

しかしだ、だとするならば反省しなければいけない点は「不満を漏らさなければよかった」という所ではなく「不満を漏らす相手を間違えた」もしくは「相手との距離感を間違えた」と反省するべきなのである。そこを勘違いしない方がきっと幸せになれる。


人は反省する事で成長できると言われているが、反省する部分を間違えると余計に酷い有様になるのである。


人間は不満を溜め込み過ぎればいつか爆発するし、不満であっても感情の共有が人間関係を円滑にする場合もある。

距離感や自己開示の度合い。きっと本質はそこになるんじゃないかと思う。そしてそれは簡単には修正できないかもしれないが、それでも反省する部分を間違えて右往左往の七転八倒になるよりは、良い方向へと進んでいける事だろう。