イロトカタ

純然たるイロトカタです

理解力を高めるのに必要な事は「勇猛果敢な行動力」と「冷静沈着な忍耐力」だ

理解力を皆が理解している訳ではない

理解力を高めるにはどうすればいいのか?そんな問題に悩む人は多いけれど、やっぱりそういう人は理解力が少ないから、理解力とは何かを理解できないので、単純に「自分は頭が悪いんだ!」という安易な結論に走ってしまう。

「頭の良さ」という言葉は世間一般で多用されるけれど、「頭の良さ」の定義は世間全体で共通化しているとは思えない。しかしながら、「理解力は頭の良さの一部に相当する」という意見は概ね世間の大多数に同意して頂けるのではないかと思う。


そんな仮定を下地にして、確実な頭の良さの一部である「理解力をどうすれば高められるか?」について述べてみようと思う。

理解力を感じる場面

そもそも、人はどんな時に理解力がある、と思うのだろうか?自分を内省する時でも、他人を観察する時でもいいが、理解していると認識する時はどのような状態だろうか?

私の場合ならば、「新規の物事を即座に使いこなせる」人を見た時である。要は事前知識が乏しい状態で、未知の何かを扱うというのは知識の力だけでは不可能だ。知識は単体では未知の事柄に対応できない。

だからこそ、知識以外の力、つまりは理解力を利用して新規の物事を使いこなしているのだと考える。

ならば、「新規の物事を即座に使いこなせる」人は具体的に何をしているのだろうか?

物事のアウトプットを観察する

最初にするべき事は「それが何をする物なのか?」というアウトプットを知る事だろうと思う。つまりは実際に動かしてみて、どんな結果をもたらすのかを経験してみる、という事だ。

「それは何をする道具なのですか?」という問いに答えられない状態は理解しているとは言い難いだろう。むしろ、この問いに完璧に回答する事ができたのならば、それ以外の情報は蛇足かもしれない。


よって、見るだけでなく、考えるだけでなく、実際に触ったり動かしたりする事でそれがどんな変化や結果をもたらすのかを知る事が理解の第一歩である。

「分解、整理、組立」

逆にアウトプットが観察できないような場合もある。
一度でも動かしたら取り返しがつかない物や、そもそも現実に存在しない概念だけの物だったり。そういう物は実際に動かしてみる、という事ができない。こういう場合はどうすればいいだろうか?

まず最初にするべき事は、「できる限りの情報を取得してくる」という事だ。材料もヒントも一つもない状況で何かを解決する事はできないからだ。

そして集めてきた情報に対して、何らかの答えを得る事が大切だ。その時に役に立つのは「分解、整理、組立」の三種であると考える。情報にも色々あるけれど、それは複雑過ぎれば扱えないし、単体では役に立たないのだ。


複雑な情報であれば、分解して自分が扱いやすい情報にまで変換する。

単純な情報であれば、役に立つ情報になるまで組み立てる。

分解であれば組立であれ、ただ無闇矢鱈に行っては何の情報を得る事ができないのだから、部品同士の関係性を意識してそれを行う必要がある。関係性を意識するためには、整理したり、共通した役割単位で名前を付ける、などの方法がある。

勇猛果敢と冷静沈着が理解を生む

上記の方法をまとめるのならば、「動かせるのならば、まず動かして結果を得てみる」「それがダメなら分解、整理、組立」を行う、という極々単純な話になる。

「動かせるのならば、まず動かす」という点は知識に溢れ思考能力が長けている人にとって、盲点である場合が多い。自己の才知に溺れて、実際やってみればすぐに分かる事を延々と考えるようなケースだ。

逆に、「とにかく行動が大事!」と考える人は「分解、整理、組立」を疎かにする事が多い。「分解、整理、組立」は実際に体を動かす機会が少なく、進行速度も曖昧であり、何より精神的な忍耐を要求される場面が多い。終わりが見えない霧の中を手探りで進むような心境に耐えられないと、「分解、整理、組立」によって結果を得る事は難しいのである。

行動と思考のどちらが崇高か?という話ではなく、どちらも大事であり、個人的に優先度が高いのは行動であると考えている。無論、先に挙げた「取り返しのつかないケース」を除外した場合だが。


理解力に必要なのは、最低限の脳の処理能力と勇猛果敢な行動力と冷静沈着な忍耐力によって得られる物なのだと思う。