イロトカタ

純然たるイロトカタです

復讐と天罰/許しと自己欺瞞

恨むだけでは状況は好転しない

いつか後悔するとか地獄に堕ちるとか天罰が下るとか言うのは、負け犬の遠吠えであると私は思っている。

世間は何もしないし、自分で復讐する才覚も度胸もないのに、架空の存在を作り上げて成敗して貰おうと期待している姿は実に負け犬そのものである。

そして、その遠回りで虚勢を大いに含んだ負け惜しみは、当然ながら怨念を抱く対象には全く効果がない。どころか逆に自分自身に被害を与えてしまう。何故なら、地獄とか天罰とか、そういった自分で作り出した架空の存在に自己の精神が縛られてしまうからだ。

架空のルールを作って、それによって絶対に相手は痛い目に遭うと信じるのならば、そのルールを自分自身が破った場合でも痛い目を遭わなければ道理に合わないからだ。よって行動も精神も縛られる。


しかしながら、これは架空のルールなので、繰り返し言うが怨念を抱く対象には全く効果がない。被害を受け、復讐できない心を癒やすために余計に被害を受けるのである。散々とはこういう場合の事を指すのだろう。

許すタイミングについて

「なんでもかんでも許す」みたいな思考は私は好きではない。今の時代が昔に比べれば平和であるから、復讐をせずとも自衛をせずとも命を奪われるケースが少ないから、こういう考えが流行するのだろう。

抵抗しなければ、反撃しなければ、奪われて殺されるのが定石である。ぶん殴ってくる相手に「あなたを許します!」なんて言っても「おうそうか、許すのか!じゃあ死ね!」と言われて終わりである。

とは言えども、「絶対に許さない!」という思考を日頃抱きつつも、復讐の度胸も才覚もない場合はどうだろうか?先に言った通り、地獄や天罰と言った架空の概念で自己を余計に苦しめてしまうオチが待っている可能性は高い。


ならば、そういう時こそ、深い理由も架空の概念もなく、自己の徳の高さ故に相手の行為を許すのだ、という落とし所は理に適っていると思うのだ。


誰かに被害を受けた。復讐や反撃を試みる。しかし失敗に終わる。いつまでも恨んでいても状況が好転する機会がない事は無意識的に理解している。ならば、許すという形でこの話に終止符を打とう。


こういう思考ならば、きっとその人を今までよりかは幾分幸福にするのではないだろうか。

自己完結型の自己欺瞞

許す。そんな高尚な言い方をすると徳の高い行為のように見えるけれど、実際の所は諦めているだけである。

しかし、どうやっても打開できない状況下でいつまでも自己を苦しめ続けるのであれば、許すという誤魔化し方ですっぱり諦めるのは人間の知恵であるように思う。


はっきりと「私は才能も度胸もないから諦めます!」なんて宣言できる心の強い人はそうそう居ないのである。人は失敗や失態を経験した時に、その時の行為を美化して誤魔化すのである。プライドが高く、心が弱いと、そうなる。


その心の弱さによって他者を傷つけるのであれば、それを見過ごす事はできないけれど、自己内で完結するのであればそれも一つの生き方である。

ただ、自己のプライドの高さと、それに釣り合わない心の弱さを持っている事を明確に自覚する事ができれば、今よりは少しくらい心が強くなる事だけは覚えておけば、いずれ役に立つのだと思う。