イロトカタ

純然たるイロトカタです

コミュ障の問題は「需要と供給」の自己イメージと現実が著しくズレてしまうことだ


自己評価と他者評価の差異

自分が良いと思う事と、他者が良いと思う事はまるで違う。

「これこそが自分の長所だ!」と自信を持って携えている武器を他人は見向きもせずに、自分の倉庫の片隅に乱雑に置き捨ててある代物を宝物のように賛美したりする。

その度に、己の見えている世界と他者の見えている世界の隔絶に絶望と希望を覚えて、その辺の挫折や可能性を乗り越える事によって世間にとって求められる存在に変身していくのだろうと思う。


この他者と自己のイメージの隔たりというのは、言うまでもなく他者と関わらなければ知る事ができない。高学歴でも頭脳明晰でも、たまに引き篭もりや社会不適合者として記事やニュースになる人というのは、著しいほどのコミュ障であるから、他者にとって有益な価値をまるで提供する事もできず、また本人も提供する気がないようで、そういう結果に陥っているのだと思う。


他人も自分を世間も世界状勢も、刻一刻と変化し続けるのが常であるから、世の中の動向を探るためには定期的に外部と関わりを持ち世間とのズレを修正し続けている必要がある。それができなくなってくると、流行遅れだとか老害だとか変わり者だとか、そんな風に呼称されて孤独になっていく。(ちなみに孤独でいる人間が、その状態を孤高だと思っていると元に戻るのが難しくなる)

偶然のヒットを期待するな

高品質こそが絶対に有価値ではない。低品質でも、欲しいものであり、手が届く場所にあれば有価値である。

相手とコミュニケートして欲しい物の情報を引き出す事ができれば、価値提供の手掛かりになる事は間違いない。それができないコミュ障は、いくら高品質商品を作り出す事ができても「需要と供給の一致」を引き起こす事ができないから、余計なコストを消費する事になってしまう。

人間の時間と才能は、どうしようもなく有限であるから、こういった無駄なコストを省く事が楽してお金を儲けるに当たっては重要なのである。

たまに、コミュ障でも職人肌で、途轍もないほどの高品質商品を作り上げて大金を稼ぐ人がいるけれど、それは「偶然、需要と供給が合致した」かつ「偶然、才能に恵まれた」という確率の低い条件を両方満たした場合に発生するので、狙ってそこを目指すのは個人的には非常に効率が悪いように思える。

コミュ力の練習は今の時代なら手軽にできる

ボトルネックになっているコミュニケーションという部分を改善してやれれば、明るい未来が開けるんじゃないかと思う人は多々いる。

自分の不得意な箇所には触れたくないのが人情なので、そこを改善するのは確かに難しいと思う。不得意な部分は触れられないから、さらに不得意になるは一般的なケースだ。

それもコミュニケーションは対人的なスキルであり、自分一人で練習するのも簡単ではない。だからこそ苦手が克服できないままになる人は多い。

だが、それでも今の時代はコミュニケーションの手段は増加しているのだから、対面での会話よりももっと細かい単位での会話だってできるのだ。対面ができない人はそういう所から一歩ずつ進んでいくしかないのだろう。

その一歩が世間とのズレを是正していき、自分が提供できる物が理解できる無駄な労力が減少した世界に連れて行ってくれるだろう。