イロトカタ

純然たるイロトカタです

逆夢と夢に溺れて紅生姜


逆夢的な現実

夢の中では理路整然と正しい意見だけを展開させて、その場にいる人達を圧倒させる妄想なんかを思い描く。

しかしながら、現実で同じような事態に遭遇するとなれば、まるで妄想通りの展開には至らない。というか真逆である。逆夢なんて言葉があるけれども、欲しくてたまらない理想像であればあるほどに、当然ながら現実では獲得できていないのである。


どうして夢では上手くいくのに、現実では上手くいかないんだろう?とわざわざ頭を捻る必要すらない。そりゃあ夢では現実を不足させて物事を展開させているからだ。現実成分たっぷりの、というか100%現実入りの現実を堪能するのであれば、その飲み物には保存料・着色料・夢成分は一切含んでおりませんな訳であるので、夢の通りには行かないのは自明の理である。


夢を味わいたいのならば、夢を飲用しなければならない。現実をゴクゴクと飲み続けながら「どうして夢の味がしないのだろう」と考えるのは筋が通らないのは誰にでも分かるだろう。


こんな単純な話でも分かる事がある。現実に夢を持ち込むのはおかしいし、夢に現実を持ち込むのはおかしい、という事だ。

それでも理想が欲しい

理想論だけ現実を生きようとする人間が失敗するように、周囲がふざけて遊び回っている時に真面目な話をすると空気をシラケさせるように、その場を占有している要素と掛け離れた要素を大量投与すると、よろしくない結果を招くのである。

牛丼に紅生姜をちょっと乗せれば美味度合いが高まるのであるが、牛と米と紅生姜の比率が「1:1:98」とかになったらさすがの紅生姜フリークであってもお手上げであろう。というかもうそれは牛丼じゃない、紅生姜に牛と米をトッピングした丼である。


という訳で、その場を占有している要素と真逆の要素をぶち込むと、ロクな事がないという訳であるが、そうは問屋が降ろしたくないのが我々である。

現実まみれのこの世の中を、現実そのままで生きていたくはないのが我々だ。少しでも理想を目指してより良い物を作ろうとするのが私達だ。現実に喘ぎながら明るい未来を勝ち取ろうとするのが人間だ。

例え世の中が現実100%で構成されていようとも、そこに一石を投じてちょっとずつでも理想色に染め上げてやろうという気概がなければ、現実はいつまでも現実なのであろう。現実を無視して理想だけで生きようとする人間は夢見がちボーイと侮辱されるだろうが、「現実は不味いものだから」と諦めて死んだような表情で意味もなく生きる人間は侮辱する価値すらない。


我々は現代に生きる問屋である。理想を降ろしてはならないのである。

夢に溺れてみる

トッピング的に賢く理想を振り撒くことはできないのだろうか?

ネットやツイッターを見渡すと、紅生姜98%の牛丼を振る舞って「これが本当の牛丼だ!」とか言う主張を行う輩が散見される。確かに刺激的な味がするし、世間からの注目を浴びる事ができるし、物珍しいだけに信者の獲得もできる。


でも、実際の所、やりすぎなのである。それ以上言う事がないレベルでやりすぎなのである。試しに紅生姜98%の牛丼を食べてみればいい。辛いだけだから。

実際、憧れる生活を過ごしてみればいい、思ったほどではないはずだから。

理想を目指すのは良いけれど、夢に溺れるのは良くない、という簡単な事を理解する事が非常に大切だと思うのである。

そのためにも、一回くらい周到に準備をした上で、夢に溺れてみるのも悪くないのかもしれない。その夢で泳ぎ回ることができたのならば儲けものだし、自分が描いた夢が「思ったほどではないし、というか辛いだけ」と理解する事ができたのならば、それはそれで一歩進めるのである。

一番マズイのは、荒唐無稽な夢に憧れながら、大切な現実と現実の仲間にツバを吐きながら怠惰につまらなく生きる事である。