イロトカタ

純然たるイロトカタです

イロトカタ 201807021923



切なさを通過する事が青春であり卒業なのだろう「ポルカドットスティングレイ/少女のつづき」

最後の一撃は、、、

ワンダと巨像を思い出させる出だしである。

「最後の一撃は、、、」なんて言われると切ないのかなぁ、と思ってしまう。あのゲームをプレイした事はないのだが、強く印象に残るフレーズだった。

作詞者の方がこのゲームをやっているのは分からないが、同様に印象に残る「最後の一撃はそっと」であった。


閉じ込められていると思っている環境であっても、いざ出ていく時がやって来て、強制的に追い出されるとなると、人間ってのは不思議と拒否したくなるのである。

この歌では、それに新鮮な気持ちで気付ける学生時代の頃の歌であるし、同時に自分の恋心を明確に自覚した時と重なっているようである。


なんやかんやで安心感を得ている環境と、知らず知らずの内に芽生えていた大事な感情の両方を同時に引き剥がされる気分というのは、正しく青春なのであろう。

終わりが見えた時に、自分が属していた場所の大切に気づいた時に、自分が関わっていた人の重要さを思い知った時に、「つづき」を求めるようになるのだろう。


しかしながら、「最後の一撃はそっと」訪れるのである。しかしその一撃は鈍く鉛のように感じる

胸を通り過ぎる切なさ

学生時代が全て素晴らしいとは思わないけれど、学生時代に多大な期待を掛ける人は大勢いる。

だが期待通りの未来が必ずしも訪れるとは限らない。だからこそ切なさが生まれる、後悔が生まれる、青春が生まれる。学校や卒業を歌う曲も自然と増える。


こんな歌詞ほどにドラマチックに学校を過ごした人間がどれくらいいるのだろうか?ドラマチックに振る舞おうとして、周囲から恥ずかしい奴だと指をさされた人間の方がよっぽど多いのではないだろうか?そんな事を思ってしまう。


本物は本物である事を自覚しない。そんな事を気にしないからこそ本物なのだ。

偽物は本物を意識するからこそ偽物なのだ。自分ではない何者かを装うから偽物なのだ。

この歌のような人生を生きた人が感じる思いと、この歌のような人生に憧れた人が感じる思いは、きっと違うはずである。

それでも同様な思いは「切なさ」なのである。

この歌の通りに生きて恋を叶えられなかったら切ない一撃が胸を打つだろう。この歌の通りに生きられなかった人は憧れからの乖離による切なさに打ちひしがれるだろう。

なんであれ切なさを最後に通過するのである。それが学生にとっての卒業であり学びなのかもしれない。

つづきを希求しながらも、それを得られない切なさこそが学生の特権である青春の象徴なのかもしれない。