イロトカタ

純然たるイロトカタです

イロトカタ 201807021923



大切な何かを守るためにも、それに纏わる不幸は忘却されるべきである。

忘却

嫌な記憶は自然と忘れるようにできているらしい。

そんな事を言うと「いやいや、私の過去にあったこんな出来事はあまりにも辛すぎて、今でも毎晩夢でうなされるレベルだよ!え!?どんな話が聞きたい??実はこれこれ~~」なんて言う風に延々と語り続ける人もいるだろうが、それでも大概の嫌な記憶は消え去るようにできている。


人は嫌な物に敏感に反応し、その瞬間は嫌な事に熱中して対処しようとするけれど、喉元過ぎてしまった不幸に対して関心を持ち続けていたら幸せになれないし、次なる問題に立ち向かえないからだ。

人が関心を向けるのは、基本的に「現在と将来の不安と不幸」である。過去の出来事ばかりにエネルギーを注いでいたら、現状以降の生命維持が困難になってしまうから、そういう種は淘汰されるのだろう。だから我々の多くは過去の不幸を基本的に忘れるようになっている。

辛い事も悲しい事も忘れるから新しい事への恐怖が取り除かれるのである。だからこそ再度挑戦して行けるのである。


嫌な記憶は忘却されて然るべき。それで正しい。

嫌な記憶を零すまいと抱え込む人

だがしかし、「嫌な記憶こそ記憶せねばならない」と生真面目に思い込んでいる人々も中にはいる。

罪悪を犯して他者に迷惑を掛けたというのならば、一生忘れまいと胸に強く刻む事は正しいのだろうが、自分が被害者サイドに立った時の記憶を深く刻む人が不思議といるのである。


何故だろうか?不幸の記憶をまるで宝物かのように覚えている人がいるのだ。

挑戦しない動機付けのためだろうか?
周囲の同情を引く材料としてだろうか?
失敗こそが成功に繋がると考えているからだろうか?
復讐のためだろうか?
はたまた大切な何かと関連しているからだろうか?

きっとその理由を一つに断定する事はできない。そしてその理由を一概に否定できる訳でもない。

切り離し

だがしかしである。明らかに否定できる物もある。それは自分の周囲も幸せにはしない不幸である。

天災の記憶を固く覚えておく事は、次の天災の際に正しく対処するための一助になる。だからこそは覚えておいても良い記憶だ。

だが二度と来ない、そして自分の記憶一つではどうしようもないこと。そんな事を抱え込んで苦しんでも良い事はない、という話である。


偶然の事故を悔やんでも仕方がない。誰がどう頑張っても対処できないような例外が発生する事もある。いくら努力しても届かない目標だってある。

大切だった人。大切だった物。それらについてまで忘れる必要はないだろう。

だが、「大切な何か」と「不幸な体験」がもし偶然や過失や不足によって結びついてしまったとしても、それは一種のけじめとして切り離すべきなのである。

大切な人は自分を不幸にするために存在するのではない。大切な物だってそうである。自己を幸福にするからこそ、それは大切なのである。

何らかの理由によって、大切な何かが悲しい方向へと流れてしまった時でも、忘れるべき記憶は忘れるべきである。でないと、誰も浮かばれない。

「大切な何かが大切であるほどに、それとそれに纏わる記憶を忘れてはいけない」と考える心理は理解できるが、やはりそこは分離させるべきなのである。大切な物は素晴らしい物であり、不幸な話題はそれとは一切関係ない。たまたま隣り合ってしまっただけであり、不幸な記憶は忘却するべきだ。


大切な物を思い出す度に不幸になるなんて、そんな悲しい事はない。

大切な物を思い出す時には人は幸せな気持ちになるべきなのだ。

嫌な記憶は自然と忘れるようにできている。大切な何かを大切に思い続けるためにも、それはやはり正しいのである。