イロトカタ

純然たるイロトカタです

イロトカタ 201807021923



カフェインこそが文明や芸術の源泉であると信じて、今日も摂取する。

毎日絶対に摂取するのは、ご飯でもパンでもない

今日は1日ノンカフェインデイ。

そんな健康習慣を夢見た日もあった。だが現実はそう甘くない。というか甘いカフェオレを摂取している現実に直面している。うん、甘い、美味しい!


そう、私はカフェインから脱却ができないのである。一週間が7日あったら7日間毎日カフェインを摂取しているのである。ということは一ヶ月の間、毎日カフェインを飲んでいるという事であるし、一年間カフェインを毎日飲んでいるという事である。ということは一生の間、ずっと毎日カフェインを飲んでいると言っても過言ではない。


自分でも何を言っているか分からないが、要するに本当に言葉通りカフェインを摂取しているのである。つまりはパンやご飯を超えたのではないだろうか?

「今日はパンしか食べなかった!」という日はきっと生きていれば遭遇するであろう。その逆も然りである。つまりは現代人の主食である、ご飯、もしくはパンであれども毎日は摂取しないのである。

しかしながら現代においてのカフェインは、まるで水か何かのように当然のように毎日摂取される。いや、下手をすれば純粋たる水を飲まずにジュースやコーヒー類だけで一日を終えてしまう人もいるそうだから、そういう意味ではカフェインは純粋な水すらも超えているのかもしれない。

人はカフェインによって発展した?

人の歴史の転換期はどこか?

法律が制定された箇所だろうか?機械が導入された箇所だろうか?それとも弱者がピストルで強者を打ち倒せるようになった箇所だろうか?

歴史には多くの節目があるけれども、食事という要素も大きな変化の一つだろう。

まともに食事にありつけなかった時代から、お腹いっぱいになったら迷わず捨てる時代へと移行してきている。その中で食事量だけでなく、食事内容も当然、変化が起こっている。

ご飯やパン等の穀物類は遥か彼方から存在したけれども、カフェインってのはいつからやって来たのだろうか?そしてカフェインってのは現代人を現代人たらしめている要素なのではないだろうか?なんて事を思う。

お茶の始まりとしては、以下のようであり、まぁ815年にはカフェインが日本に到来しているようである。

遣唐使が往来していた奈良・平安時代に、最澄(さいちょう)、空海(くうかい)などの留学僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、わが国のお茶の歴史の始まりとされています。
平安初期(815年)の『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠(えいちゅう)が近江(現在の滋賀県大津市)の梵釈寺(ぼんしゃくじ)において茶を煎じて奉った」と記述されています。
お茶の歴史
https://www.itoen.co.jp/oiocha/history/

つっても、この頃のお茶は貴重品であり、一般大衆に出回っている類の物ではなかったようである。
カフェイン的な要素が多くの人に広がるにつれて、これほどのまでに文明が発展したと思うのは、さすがに言い過ぎだろうか。

気力の源

まぁカフェインは全世界的に昔から愛されている物であり、カフェインが芸術や発明や発展の一助になった事は否めないのである。

カフェインを辞められない葛藤をわざわざ抱え込む必要もないのかと、そんな事をふと思う。

いいのだろうか?まぁでもそんなに健康上マズイ状態にはなっていないから、いいんじゃないだろうか?楽天的過ぎるのだろうか?

そんな事を言っても、辞められない物は辞められないのである。頑張る理由があれば、頑張ろうとするし、頑張るためには気力が必要なのである。その気力を簡単に運んでくれる飲料があれば、そりゃあ飲む。これは仕方がない。


今日も1日カフェインデイ。美味いコーヒーを飲みつつ、今日も楽しく生きるのである。